心理テスト・ギャンブル [心理の不思議 9]
心理テスト・ギャンブル
あなたは、初めてカジノでルーレットに挑戦しようとしています。
でも、ルーレットの賭け方が判りません。
そこで、あなたは、次の誰にその遊びのルールを教えてもらいたいと思いますか?
A 場馴れしているように見える紳士。
B 如何にもギャンブラーとおぼしき男性。
C 学者タイプの男性。
Aの「場馴れしているように見える紳士」を選んだあなたが、友人を選ぶ基準は、見かけの良さです。きっと、あなたの周りには、男性も女性も、綺麗な人がたくさんいるはずです。
その中にいることで、さまざまなハプニングや楽しいことが集まって来る筈です。たとえ、あなた自身がわき役に徹することになっても、プラスになることが多いので、充分満足なのです。
Bの「如何にもギャンブラーとおぼしき男性」を選んだあなたが、友人を選ぶ基準は、早い話が損得勘定です。あなたは、友人を選ぶ時、その人が好きか否かよりも、自分の得になる人か否かを考えるタイプです。
得にならない人だと判ると、どんなに相手がいい人でも、友情を感じることはありません。
Cの「学者タイプの男性」を選んだあなたが、友人を選ぶ基準は、自分を裏切らないかどうかです。そのため、あなたは友人選びに冒険をしようとはしません。いつも、無難で、毒にも薬にもならない人を選びます。
そのせいで、あなたの周りの友達は、ほとんど面白みのない常識人ばかりということになるようです。
すると、突然、あなたの隣にいた客が怒り出しました。
何故でしょうか?
A 大損をしたから。
B いかさまだったから。
C ディーラーが無視をしたから。
Aの「大損をしたから」を選んだあなたは、友人との間の利害関係の不一致を恐れています。たとえば、もしも、あなたと友人が同じ人を好きになり、友人の方が恋愛を成就してしまったら、その友情は終わりになるかもしれないと危惧しているのです。
しかし、友情には時にそうしたリスクも付き物です。いつもお互いが同じ境遇ということはあり得ませんから。
Bの「いかさまだったから」を選んだあなたは、友人との間に誤解が生じることを恐れています。本音を言ったら友情が壊れるのではないかと、いつも心配しているので、本当の気持ちを出し渋ることがあるようです。
でも、もしも相手が真の友人ならば、本当のことを話しても友情が壊れることはありません。
Cの「ディーラーが無視をしたから」を選んだあなたは、友人との関係が疎遠になることを最も恐れています。一日一度はメールが来ないと、嫌われたのかと思い込むこともあります。
少しぐらい顔を合わせることが出来なくても、友情に変わりはないはずです。あまり、神経質にならないことです。
大きなミスと小さなミス [心理の不思議 9]
大きなミスと小さなミス
金曜日から、ドミノ地震の余震が続きっぱなしで、何だかもうあまり驚かなくなって来た・・・。(・_・;)
四人の学生が、ある化学の実験をしました。
すると、四人とも、その実験に失敗してしまったのです。
その失敗のせいで、以下のような事態が起きてしまいました。
さて、この四人の学生たちは、それぞれ教師からどのような評価を受けたでしょうか?
学生A 実験の最中に誤って大爆発を起こしてしまった。
学生B 実験の最中に誤って臭いにおいを発生させてしまった。
学生C 実験の最中に失敗し、そのおかげで大発見をした。
学生D 実験の最中に失敗し、そのせいでとてもよい香りを発生
させた。
もしも、あなたが教師ならば、ほとんど咎めることがない学生は、おそらく大発見をした学生Cではないでしょうか。
何故なら、Cは、実験には失敗したものの、これまで誰も見付けられなかった物を発見したのですから、むしろ、褒められてしかるべきだと考えるのが普通ですよね。
次に、あまり咎め立て出来ない学生は、実験には失敗したもののそのせいでとてもよい香りを出したDだと思います。
Dは、確かに実験には失敗しましたが、おかげで部屋中に芳香が漂うことになったのですから、別に悪いことをしたとはみなされませんよね。
では、学生AとBはどうでしょうか。
実験を失敗したせいで、大爆発を起こしたり、臭いにおいを充満させたりで、周囲にもとんでもない迷惑をかけたわけですから、その責任は重大です。
もちろん、教師であるあなたも、AとBの失敗を容認できるわけはありません。
しかし、本当に、彼ら四人の評価はそれで良いのでしょうか?
心理学的に考えれば、以上のことが通常の反応だと言えますが、忘れてはいけないのは、彼らは結果、四人全員がもともとの実験に失敗しているのです。
評価は、四人すべてを落第としなければならないのが、教師であるあなたの務めなのです。
人間は、とかく、結果がすべてと考えがちですが、一般社会と教室ではその評価はおのずから異なるのです。
たとえ、結果が良かったからと言って、学校での学生の失敗をすべて容認していたら、社会に出てからその学生は失敗しても誰かが助けてくれると考えるようになってしまうのだそうです。
日ごろから、何事においてもミスに大小はない、たとえどのような言い訳をしようが、ミスはあくまでもミスであるという自覚を持っていることが大事なのだと、心理学者は説いているのです。
言葉は使いよう [心理の不思議 9]
言葉は使いよう
本の買取りを専門としている企業が、始めに考えた宣伝文句に「本、買います」というのがあったそうだ。
しかし、この言葉を読んで、本を売りに来た客はあまりいなかったそうである。
そこで、今度は、「本、お売りください」と替えたところ、お客が来るようになったというのである。
「買う」というのは、企業側の言い分である。
しかし、「売る」という行為は、客側の判断にゆだねられたものである。
ここに、この会社の業績向上の鍵があったのだそうだ。
人間は、決めるのは自分で、相手ではないというプライドを誰しも持っている。ここをうまく利用した訳である。
とかく、病院や自治体でも、住民に検診の大切さを説いている。
その係の人たちの言葉を聞くと、たいていが、こういう言い方である。
「ご自分の健康のために、検診を受けましょう」
でも、この言い方では、おそらく率先して検診を受けようと思う人は増えないであろう。
特に、高齢になればなるほど、体力的にもきつくなるし、面倒くささの方が先に立って、関心は低くなるはずである。
そして、この言葉である。
「ご自分のために・・・・」
人間は、自分のために何かをしましょうと言われて、動く人はあまりいないのである。自尊心を強く持つ人に限って、その傾向は顕著になる。
そして、「・・・・しましょう」などと、他人から促されて何かを行なうなど、プライドが許さないのだ。
しかも、検診という行為は、たとえ医療者が相手とはいえ、赤の他人の前で恥ずかしい格好をしなければならないという、これ以上ないリスクを伴うことである。
簡単に、承服できる問題ではない。
では、どのように説得すればいいのか?
上記の例を参考に考えてみよう。
つまり、検診対象者に自らの意思で検診を受けようと思わせればいいのである。
そこで、こういう言い方に替えてみる。
「お願いですから、わたしのために検診を受けて頂けませんでしょうか?ノルマが達成できないと、上司に叱られてしまうんです」
人間は、自分のためにはやりたくないことも、他人の役に立つことならば一肌脱ごうという気持ちになるものなのだ。
しかも、この言葉を、出来るだけ権威のある人に言わせることで、相手の受けとめ方は更に重くなる。
たとえば、医師の口から、「ぼくのために検診を受けて頂けませんか。お願いします」などと言われれば、渋々でも重い腰をあげる高齢者も増えるのではないかと思われる。
人を動かす時に一番大事なことは、その行為が自分のためというよりも、別の他人のためになるという「役に立つことが出来る」という気持ちをくすぐるところにあるのだ。
「本、お売りください」も、「本を売って頂かないと、会社が立ち行かないんです。お願いします」の意味を汲んで、「じゃァ、おれが会社を助けてやろう」の感覚で客が詰めかけるようになったわけである。
正に、言葉は使いよう----なのである。
ブレーンストーミング [心理の不思議 9]
ブレーンストーミング
日本は会議が長いと言われるようだが、「ブレーンストーミング」という方法で、これを短くし結論を出しやすく出来るのだという。
「ブレーンストーミング」は、奇抜であり得ないと思うアイデアでも、どんどん出し、絶対にそのアイデアを批判しないことが条件の会議方法である。
たとえば、そうやって出されたアイデアを幾通りにも組み合わせ、新商品開発などへと発展させるのだという。
その際に、どうしてもこれは商品化は無理だと思われるものを振るいにかけ、最後に最も適した結論を導き出すのだそうだ。
しかし、とかくアイデアが出しつくされてしまうと、話題が個人攻撃などへと移行し、会議の意味を逸脱しがちになる。
この「ブレーンストーミング」の方法をとる場合は、会議の出席者全員がはじめの目的をしっかりと自覚した上で、行なうことが大切なのである。
気分転換が成功の秘訣 [心理の不思議 9]
気分転換が成功の秘訣
学問でも、スポーツでも、音楽や芸術関係でも、天才とか博士などと呼ばれる人たちは、たいてい、上手な気分転換の仕方を知っているのだそうです。
それも、自分の専門分野とはかなりかけ離れた趣味や興味のある世界を持っていて、そうした別のことに没頭している時は、仕事についてはまったくの無関心になるといった徹底ぶりなのだとか・・・。
つまり、彼らの仕事と気分転換には、実にメリハリがあるということのようです。
「どうして、あんなに色々なことをしているのに、彼は学業の成績も良く、スポーツでも大活躍出来るのだろうか?」
などと首を傾げるほどに優秀な生徒が、クラスに一人や二人いたことはありませんか?
それは、もちろん、その生徒が人一倍の努力家で頭が良かったということもあるかもしれませんが、それだけではないのだそうです。
むしろ、まったく違うことを一生懸命することで、脳が極めてうまい気分転換を促し、リフレッシュ効果やストレス緩和という相乗効果をもたらしていたのだということでした。
どんなに長時間の勉強をしても、スポーツの特訓をしても、そのことばかりに熱中していると、人間は必ず何処かで飽きたり手を抜いたりしてしまうものなのです。
特に、人が何かに一心不乱に集中できるのは、せいぜい30分が限界だとも言われます。
いつもは、難しい研究に没頭しているのに、休日は一切研究とは関係のない美術館巡りをしたり、楽器を習いに行ったりと、自分が研究者であることを忘れるレベルまで気分転換が出来るような人は、本当の意味での「自己暗示の差」というものを体感しているといえるのです。
しかし、こういうことが出来る人は、そう多くはありません。
普通の人は、たとえ、映画を観ている時でも、音楽を聴いている時でも、やはり、解けない宿題の答えを考えてしまったり、点数の悪かったテストのことなどをクヨクヨと考えてしまうものなのです。
これでは、自分をますますダメにする「マイナスの自己暗示」になってしまうと言います。
何事も行き詰ったら、別のことで頭を切り替える-----これが成功の秘訣だそうです。
でも、凡人は、そううまくは行きませんよね。
わたしなど、もしも、まったく気分を切り替えてしまったら、最初に何をしようとしていたのかさえも、忘れてしまいそうですから。(~_~;)
高齢者が頑固なわけ [心理の不思議 9]
高齢者が頑固なわけ
年をとるにつれて、人間は頑固になると言われますよね。
周りの意見を受け入れなくなり、自分の意見ばかりを押し通そうとする男性も多いものです。
しかし、そういう人も、若い時から人の意見を聞かない頑固者だったわけではないのです。
どうして、このようなことが起きるのでしょうか?
人間は、押し並べて、最初に聞いたり見たりしたものを信じるという性質があるそうです。
つまり、若い時に経験したことが正しいことだと思い込む傾向があるのです。
ある男性落語家は、バブルの頃に若い女性たちに人気のあった行楽地を、未だに女性たちに人気のある場所だと信じ込んでいて、若いタレントたちの失笑を買っていました。
また、ある高齢男性は、若い頃に見た知り合い男性の悪い印象があまりに強烈で、その男性がその後立派な業績を残す人物に成長しても、「本質は、ろくでもない奴だ」との評価を変えることがありませんでした。
人間は、若い時分に受けた印象を、ほぼ生涯にわたって引きずる性質があるので、何十年経っても、結局はその時の感覚を忘れることがないのです。
世代間のギャップも、要は、そういうところから生まれるわけで、たとえば、クジラを食べることが当たり前の世代に、現代の若者が「クジラを捕るのは感心しない」と、言ったところで、受け入れられないのも当然といえば当然なのかもしれません。
人間の基礎的概念というものは、二十代の頃までに出来上がるそうです。
その頃、良い印象を得た物は、生涯にわたり、良い物と認識し続けるのです。
逆に、若い頃に、あまり好ましい印象を持てなかった事柄については、その事柄の印象がのちに誤った認識のもとに出来たものだったと判っても、やはり、心底好ましいとは思えないものなのです。
高齢になればなるほど、自分の感覚が最も正しいと確信する人が多いのは、そのためのようですね。
人が白衣に弱い理由 [心理の不思議 9]
人が白衣に弱い理由
患者が医師や看護師に恋愛感情を懐くということが間々あるわけは、白衣を来た人物には無条件で従いたくなるという白衣コンプレックスだけではないのです。
皆さんは、俗に言うところの「吊り橋効果」をご存知でしょうか?
何組かの初対面の男女のカップルを、低い場所にかかる頑丈な橋を渡るグループと、高い場所にかかる吊り橋を渡るグループに分かれて一組ずつ渡らせたところ、低くて頑丈な橋を渡ったカップルは特別何の反応も見せなかったのですが、高い場所にかかる吊り橋を渡ったカップルは、その後、メールアドレスや電話番号を交換したという実験結果が出たそうです。
つまり、人間は、恐怖感や不安感といった心臓のドキドキ感を、恋愛感情のドキドキ感と勘違いしてしまうことがあるのです。
これを「吊り橋効果」とか「錯誤帰属」といいます。
この効果は、何も吊り橋を渡った場合だけに起きるわけではありません。
男女が共にジェットコースターに乗ったり、スポーツを観戦していて、ひいきのチームの応援で勝敗の行方に一喜一憂したりする場合も、この「吊り橋効果」は起きるのです。
そして、これは時々病院においても起きることがあるのです。
自分の病気が重いものかどうか、検査結果を待つ間の気持ちのやり場のない不安感は誰しも経験したことがあると思いますが、正に手のひらに冷や汗をかくほどの不安感に襲われるものです。
中には、そういう感覚にいたたまれず、その場から逃げ出してしまう人もいるほどです。
しかし、いざ、診察室へ入り、担当の医師から、
「大丈夫ですよ。お薬を飲んでもらえば、二、三日で良くなるでしょう」
などと言われれば、それまでの奈落の底へ落とされた気分から一気に浮上。
その医師が、神様にも思えてしまう訳です。
「なんて、良い先生なんだろう!」
医師が男性ならば、女性患者がその医師に対して恋心を懐いてしまうことも無きにしも非ずなのです。
これこそが「吊り橋効果」です。
検査結果を聞くまでの間のドキドキ感を、恋愛感情と勘違いしてしまうことも起きるのです。
そういう意味では、その感情が持続して、そのまま医師と患者が本当のカップルになってしまうケースも多いようです。
女優の泉ピン子さんや、鈴木杏樹さんなどが、その良い例ではないでしょうか。
もしも、あなたに好意を寄せる女性がいたとして、その女性を振り向かせたい場合は、この「吊り橋効果」を使ってみるのも一つの手かもしれません。
ただし、女性が本当に怖気づいてしまうほどのシチュエーションはやめて下さいね。
相手の話を聞き出すには・・・ [心理の不思議 9]
相手の話を聞き出すには・・・
心理療法などで、相手の話を聞き出すには、ひたすら相づちを打ちながら聞き、決して相手を否定しない----と、いう方法をとることが良いと言われるそうですが、それよりもベストな方法があるそうです。
それは、話を聞こうとしているあなたの方が、自分の身の上話や経験談を、相手の話を聞く前に率先して話すことなのだそうです。
そして、その話を聞く前に、軽く相手の肩や背中に何気なくタッチすることが、より、相手に安心感を持たせ、相手があなたに心を開きやすくする効果があるのだとか・・・。
つまり、
「どうぞ、腰かけて----」
と、言いながら、相手に軽くタッチ。
その後、
「ほんと、最近、不景気でしょう?わたしも、会社の仕事がうまく回らなくて、大変なんですよね。お宅はどうですか?」
というように、何気なく自分の苦労話や悩みを相手に話すことで、相手もあなたのことを信用して、自分の悩みなどを話しやすくなるのだそうです。
これを「自己開示テクニック」といいます。
他人の心の中を知るためには、自分の心の中も相手に見せる----これが、最も肝心なのです。
話しベタは直る [心理の不思議 9]
話しベタは直る
そもそも、どうして子供が話しベタになるかというと、母親や教師などの大人が子供の話をしっかりと時間をかけて聞いてあげないからなのだそうです。
子供は、誰もが人と話をしたくて、自分のことを知ってもらいたくてたまらないのです。
ところが、大人は、そんな子供の他愛もない話を、いちいち仕事の手を休めてまで聞こうとはしません。
しかも、子供は語彙を多くは知りませんから、言いたいことがすべて言葉になるとは限らないのです。
言いたいことがあるのに、何と表現していいのか判らないために、スムーズに話が進まず、大人はますますイライラしてしまうのです。
そこで、
「ああ、その話はまたあとで聞くから・・・」
「うるさいわね!今忙しいのよ」
つい、子供にこんなことを言ってしまうのですが、これを言われた子供は、「大人に話かけると叱られる」と、思うようになり、やがて、しゃべること自体が怖くなってしまうのです。
そうなると、性格も暗くなり、社交性もなくなります。
もしも、そんな子供が何か話をしたいような素振りを見せたら、笑顔でじっくりと聞いてあげることです。
そして、感情を大きく表わし、話しの内容に感心してあげることも重要です。
そうすることで、子供は、自分の話は人を楽しませることが出来る----と、自信を付け、人前で話すことを苦痛と感じなくなるのです。
子供の話しベタは、入学試験の面接などにも影響します。
出来るだけ早いうちに周囲がそれに気付き、ゆっくり時間をかけて直してやることも大事なのです。
ランドセルの色は? [心理の不思議 9]
ランドセルの色は?
最近のランドセルは、色のバリエーションがとても豊かですよね。
ライトピンク、ビビッドピンク、ブラウン、ライトブルー、ネイビー、ブラック、レッド、イエローなどなど・・・・。
わたしの子供時代には考えられないことでした。
そのため、今の子供たちの感性は、「女の子だから赤が好き」とか「男の子だから黒でなければおかしい」などという色彩的偏見はかなり薄れているようにも思えます。
でも、わたしの従姉は、小学生の時、学校でただ一人、黄土色のランドセルを背負って登校していました。今考えてみれば、大した度胸だったと思います。
では、何故、かつての子供たちは色に対して「女は赤orピンクが好き」「男は黒or青が好き」などという決まりごとを信じてしまっていたのでしょうか?
ところが、こんな決まりごとは、日本人だけに通用する認識だということは、あまり知られていません。
他の諸外国には、そもそも「男の子の色」「女の子の色」などというものはあり得ないのだそうです。
女の子が黒い鞄を持っていても、男の子が真っ赤な鞄を持っていても、それを妙だという人などいないのだそうです。
では、どうして日本人だけがこのような色彩的偏見を持つようになってしまったのでしょうか?
それは、昔からの日本文化が影響し、子供が保育園の年長さん頃から周囲の大人たちによって刷り込まれてしまう感覚なのだというのです。
つまり、その頃までの小さな子供には、特別にそうした色の偏見はないのだそうで、ちょうど物心が付く頃になって、
「やっぱり、男の子だから青だろう」「女の子だから、ピンクが可愛いわ」
などという、大人たちの言葉で、「女のあたしが青いランドセルでは変だと思われるんだわ」とか「男のぼくがピンクは好きなんて言ったら、バカにされるんだろうな」などと考えるようになり、大人の言葉に従ってしまうことで、女は赤が好き、男は黒が好きと、いつの間にか思い込んでしまうのだと言います。
ですから、その認識のまま大人になると、日本人は、女性用は赤い色の表示、男性用は黒い色の表示と思い込んでいるため、海外旅行をした際などに、赤い表示の男性用トイレなどへ誤って入ってしまい、顰蹙を買うというようなポカも起きるのだそうです。
とにかく、そんな訳で、今の小学生は実に羨ましいですね。
もしも、わたしが新入生だったとしたら、断然スカイブルーのランドセルを選んだと思います。
実は、小学校低学年の水泳の時間、わたしだけが水色のベルト付きを着ていたのです。
他のクラスメートたちは、皆、紺のスクール水着だったのですが・・・・ね。(^_^;)