大きなミスと小さなミス [心理の不思議 9]


大きなミスと小さなミス


    金曜日から、ドミノ地震の余震が続きっぱなしで、何だかもうあまり驚かなくなって来た・・・。(・_・;)



    四人の学生が、ある化学の実験をしました。

    すると、四人とも、その実験に失敗してしまったのです。

    その失敗のせいで、以下のような事態が起きてしまいました。

    さて、この四人の学生たちは、それぞれ教師からどのような評価を受けたでしょうか?



学生A  実験の最中に誤って大爆発を起こしてしまった。

学生B  実験の最中に誤って臭いにおいを発生させてしまった。

学生C  実験の最中に失敗し、そのおかげで大発見をした。

学生D  実験の最中に失敗し、そのせいでとてもよい香りを発生
      させた。


    
    もしも、あなたが教師ならば、ほとんど咎めることがない学生は、おそらく大発見をした学生Cではないでしょうか。

    何故なら、Cは、実験には失敗したものの、これまで誰も見付けられなかった物を発見したのですから、むしろ、褒められてしかるべきだと考えるのが普通ですよね。

    次に、あまり咎め立て出来ない学生は、実験には失敗したもののそのせいでとてもよい香りを出したDだと思います。

    Dは、確かに実験には失敗しましたが、おかげで部屋中に芳香が漂うことになったのですから、別に悪いことをしたとはみなされませんよね。

    では、学生AとBはどうでしょうか。

    実験を失敗したせいで、大爆発を起こしたり、臭いにおいを充満させたりで、周囲にもとんでもない迷惑をかけたわけですから、その責任は重大です。

    もちろん、教師であるあなたも、AとBの失敗を容認できるわけはありません。

    しかし、本当に、彼ら四人の評価はそれで良いのでしょうか?

    心理学的に考えれば、以上のことが通常の反応だと言えますが、忘れてはいけないのは、彼らは結果、四人全員がもともとの実験に失敗しているのです。

    評価は、四人すべてを落第としなければならないのが、教師であるあなたの務めなのです。

    人間は、とかく、結果がすべてと考えがちですが、一般社会と教室ではその評価はおのずから異なるのです。

    たとえ、結果が良かったからと言って、学校での学生の失敗をすべて容認していたら、社会に出てからその学生は失敗しても誰かが助けてくれると考えるようになってしまうのだそうです。

    日ごろから、何事においてもミスに大小はない、たとえどのような言い訳をしようが、ミスはあくまでもミスであるという自覚を持っていることが大事なのだと、心理学者は説いているのです。


        

<今日のおまけ>



    東京電力の優柔不断さには、日本中が呆れ返っている。

    彼らは、原子力発電の専門家ではなかったのか?

    国から目の飛び出るような金を出させておいて、電力株は絶対に下がらないという神話まで信じ込ませた。

    福島原発二号機のベント(減圧)にも失敗したということなのだろうか?

    はっきりしたことを公表できないというのは、既に、自分たちの保身の方へ頭が切り替わっている証拠だろう。

    ここは、たとえどれほどの衝撃的な事実があろうとも、自らのミスを認め、真実を国民に話すことが彼らの務めだと思う。

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