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お前、いい加減にしろよ! [日々の雑感 5]


お前、いい加減にしろよ![パンチ]


    この前、新聞を読んでいたら、女性言葉の男性化という記事が目にとまった。

    「おまえ、いい加減にしろよ!」

    旺文社の調査によると、この言葉を見て、これを男性言葉だと考える小中高生は8割いたそうだが、では、「あなたは、こういう言葉づかいをしますか?」の問いには、「はい」と、答えた女子が28パーセントもいたそうである。

    男子は、この問いについて64パーセントが「はい」であったが、「いいえ」も26パーセントいたそうである。

    「カレーライスは、うまいね」を使う女子は30パーセントを占め、男子の20パーセントは使わないとの統計もあるそうで、女子の言葉の男性化が如実に進行していることが判る。

    また、逆に、男子の言葉の女性化もしっかりと進んでいるようである。

    かつては、「~~だわ」「~~よね」「~~かしら」などの女性言葉は、日常会話でも頻繁に女性が使っていた。特に、テレビドラマや小説などの中では、女性はこういう言葉を話すものだとばかりに、当たり前のように使われていたものである。

    殊に、男性作家が書いている小説の中の女性言葉などは、「いったい、いつの時代の言葉なの?」と、思われるほどに、隷属的な言い回しを好んで使っているものもあり、わたしなどに言わせると、「バッカじゃねェの?」と、思ってしまうことも多い。

    「堪忍して下さい」「わたくしには、判りませんの」「おやめになって!」

    読んでいると、お尻のあたりがむずがゆくなるような言葉の羅列である。

    最近では、ドラマの脚本家たちも、こういう女性特有のデフォルメされた言葉は、出来るだけ使用を控える傾向にあるという。

    要するに、だんだん現実会話に合わなくなって来ているからであり、リアリティーが失われてしまうからだという。

    昔、「君の名は」という映画のリメイク版がNHKの朝の連続ドラマ枠で放送されたことがある。

    そこで、ヒロインの氏家真知子役の女優が話す言葉が、あまりに上品すぎて今の時代に合わないということで、途中から現代風に変更されたことがあった。

    わたしも観ていて、これはいくらなんでもやり過ぎだなと思ったほど、確かに、真知子の言葉は如何にも少女趣味であった。

    話し言葉は、時代によってどんどん変化して行くものである。

    平安時代などは、「はひふへほ」を、「ふぁふぃふふぇふぉ」と、発音していたそうであるし、わたしの父の世代などは、「か」を「くゎ」と発音していたものである。たとえば、ヤカンを「やくゎん」というように。

    だから、未だにパソコンの五十音の中には、普段なら使うことのない「ゎ」という小文字が登録されているのである。

    女性の社会進出に伴って、これからは、ますます男性言葉、女性言葉の区別がなくなり、まずそこから真の男女平等は始まって行くのではないかと思われる。

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言葉は人を変える [日々の雑感 5]


★ 言葉は人を変える ★


    よく『言霊(ことだま)』などという言い方をしますが、言葉には、人の心を動かす力があると言われていますよね。

    わたしは、あまり、この『言霊』という言葉が好きではありませんが、どうやら、そういうことは事実あるようです。

    「もう、嫌だ」「あ~~、面倒」「かったるい」「うんざりする」「凹むわ」「絶対、無理」「疲れる」

    いつも、こんな言葉ばかり話している人、よくいますよね。

    こういう人は、自分の気持ちを暗くするばかりでなく、周囲の人の気持ちにも悪い影響を及ぼすのだそうです。

    人の中には、必ず相手の言葉に皮肉で応酬しなければ気が済まないという人もいます。

    こんなエピソードがあります。

    小学生の男の子が、大好きな野球選手の使ったグローブをプレゼントされました。男の子は大喜びでグローブを手にはめてみたのですが、その子の祖父が、これを見て、「おい、その選手、病気持ちじゃないだろうな?あとで手を洗っておけよ」と、いきなり、その喜びに水を差すようなことを言ったのです。

    祖父にしてみれば、自分はいつも家の中で面白くない思いをしているのに、有頂天になっている孫が癪にさわって仕方がなかったようで、この一言で、一瞬にして、家庭の空気は白けたものになってしまったそうです。

    こういう祖父のような人のいる家庭は、いつも暗くどんよりとした陰湿なイメージが満ちていて、家族の気持もささくれ立ったものになってしまうのだそうです。

    ですから、こうした『負』の言葉を口に出すことが多い人の周りには、トラブルが絶えないのだといいます。

    しかし、「やれば出来るよ」「きっと大丈夫」「自分にだって才能はある」「やらずに後悔するよりも、やって後悔する方がいい」と、こんな風に前向きな言葉を話す人の周りは、その人同様に、積極的で明るい雰囲気になるのだといいます。

    また、これまではマイナスのイメージの言葉ばかりを話していた人が、プラスのイメージの言葉を積極的に使うことにより、実際に性格までもが活発になったという話もあるほどです。

    言葉には、人の性格を変える力があるようです。

    気持ちが落ち込んだ時は、あえて、自分を肯定するような言葉を口に出してみるのも手なのかもしれませんね。

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地域ブログの功罪 [日々の雑感 5]


地域ブログの功罪


こんにちは。

 
 今日の信州は、朝から雨です。しかも、かなりの大雨です。

 昨夜も寒かったので、買ったばかりの電気敷き毛布を使いました。なかなか、具合よく眠れましたよ。



 ところで、わたしは、これまでも某地域ブログでブログを書いてきましたが、地域ブログは参加するブロガーたちがごく限られた狭い地域に住んでいるために、たとえ顔も名前も知らない他人同士でも、ブログのコメント上で親しくなるスピードがとても早いのです。

 そのために、まだブログ上で知り合って間もないというのに、実際に食事に誘ったり誘われたりすることが頻繁に起きるのが実情です。

 ですから、コミュニケーション・ツールとしては大規模なブログサイトに比べて使いやすく、また、あっという間に友人も出来るので、初めてブログを書く人にとっては、ブログの楽しさがダイレクトに伝わり、中には、パソコンの前を離れられなくなる人もいるくらいの生活必需品となるのも、地域ブログの特性なのです。

 正に、ブログ上のご近所付き合いが可能になるわけです。

 しかし、お判りのように、ご近所付き合いというものには義理が欠かせません。

 こちらのブログを読んでもらったら、毎日一度は必ず相手のブログも読まなくてはならないのです。それを欠かすと、「なんて、非常識な!」と、いうことにもなるのです。

 しかも、ただ読むだけではいけません。ちゃんとコメントも残さないと、義理を欠いたことにされてしまいます。そうなると、まったく現実のご近所付き合い同様に、何人かの親しいブロガーが義理を欠かされたと思うブロガーのコメント欄に集まり、義理を欠いたブロガーのことを口々に批判し始めるようになるのです。

 また、そういううるさ型ブロガーたちの気に障るようなブログ記事を書いてもいけません。彼らは、自分の意見が最も素晴らしい物だと思い込んでいますから、他のブロガーが、故意にせよ偶然にせよ、それに反論するようなことを書いた時は、実に狂ったように激怒するのです。

 その激怒ブロガーの中心に座るのは、大抵が50歳すぎのおばさんブロガーたちなのですが、現実の生活では働く理性が、何故かバーチャル世界のブログ上では全く機能せず、一度彼女たちの怒りの導火線に火が付くと、次々に他のブロガーをも自軍に引き入れながら、相手ブロガーの攻撃を始めます。

 そして、いつしかその仲間から外されることを恐れる他のブロガーたちをも巻き込んで、サイト内にすさまじいイジメの竜巻が唸りを上げ始めてしまうのです。

 そうなると、もはや手がつけられません。イジメの対象にされたブロガーが他のブロガーのコメント欄にコメントを書き込んでも、完全無視されるばかりか、ひどい時には削除されてしまいます。

 まあ、考えようによっては、無視コメントをいつまでもぶら下げられているよりは、削除された方が恥をかかされずに良いこともあるのですが・・・・。

 そんな嫌がらせを受けたブロガーは、悔しさや情けなさを抱えながら実に苦い思いで地域ブログサイトを去って行くしかなくなるのです。そういう嫌がらせを受け、撤退するはめになったブロガーを、わたしは何人も知っていますし、そういうブロガーの人たちが、わたしのメッセージ欄に苦しい胸の内を書き込んで来られた時は、相談にも乗りました。

 ある男性ブロガーは、中年の女性ブロガーからコメントされた新年のあいさつに対して、仕事が忙しいこともあり、女性のコメント欄に同じように「明けまして、おめでとうございます」と、書き込まなかったというだけで、連日嫌がらせのコメント攻撃を受けたというケースもありました。

 こうなると、もう、一種のブログ内ストーカーですけれどね。

 しかも、ブロガー同士の住んでいる地域が狭いだけに、ブログをやめたあとの実生活でも嫌がらせを受ける場合さえあるのだそうです。

 地域ブログは、うまく使えば友人も増えて心を癒やすことが出来る素晴らしいツールになる可能性を秘めているものですが、ほんの些細なことからイジメや嫌がらせに発展するという怖さも同時に持っているのです。

 もしも、あなたがこれから地域ブログをやってみようと思われるなら、少々ご忠告させて頂きたいと思います。

 たとえコメント上でも、決して、相手ブロガーと深い付き合いはしないこと。他人のブログを読む時は、足あとを残さないこと。他人のブログは、出来るだけ読まないこと。もしも、つい読んでしまった時、自分の悪口や陰口が書かれていると嫌な思いをしますからね。そして、どうしてもコメントを書き込まねばならない時は、とにかく相手を褒めまくることです。褒められて怒る人はいませんから。

 それと、これが一番大事なのですが、50歳以上の中年女性ブロガーには極力気を付けろということです。

 これらのことを踏まえ、腹を据えて地域ブログを始めて下さい。ご健闘をお祈りします!!(^_^;)

 

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いったい何が起きたんだ!? [日々の雑感 5]


いったい何が起きたんだ!?


    少し前のこと、わたしが理容院(美容院ではない)でカットをしてもらっての帰り途、数十メートル先に、ご近所の主婦が二人で話をしている姿が目に入った。

    家へ帰ったわたしは、その後いつものように共同浴場へ行こうと、入浴道具を手に家を出ると、その主婦たちの立ち話は、まだ続いていて、そのうちの一人の主婦が、何故か、洗面道具も持たずに共同浴場へと入っていったのである。

    どういう訳か、外湯の鍵だけは持っていたということだろう。

    不思議に思いながらも、わたしもそのあとから外湯の中へ入った。すると、脱衣所の方から、いきなり怒りの声が聞こえてきた。

    いったい、何が中で起きているのかと、脱衣所の引き戸を開けると、そこには、たった今お風呂から上がって来たばかりの、やはりこの共同浴場を毎日利用している女性と、その主婦がいて、大声で話をしているのであった。

    しかし、一方的にまくし立てているのは、あとから入って行った主婦の方である。

    彼女は、わたしの顔を見るなり、「もう、ひどいんだから!聞いてよ!」と、さらにしゃべり始めた。

    「この間、いつもの総合病院へ行ったら、内科の先生がわたしに向かって、ひどいこと言うのよ。あんたが飲んでいるのはもの凄くきつい薬だから、これ以上薬を出すことはできないって!それに、他の医院へかかっているのも気に入らないらしいのよ!でも、こっちは辛くてしょうがないんだから、何とかして欲しいって頼んだんだけれど、そんなに辛いなら家で安静にして寝ていろって、それしか言ってくれないの。こんな言い方ってあると思う!?」

    主婦は、今にも泣き出しそうに悔しがりながら怒りをぶちまける。

    「もう、あんまり癪に障ったから、こんな医者クビにして欲しいって、院長に抗議しようかと思ったわよ!ちょうど、目の前を院長が通ったから、捕まえて言ってやろうとしたんだけれど、主人がそばで、そんなことはやめておけって止めるから、我慢したのよ」

    すると、それを聞いていた今風呂から上がったばかりの女性は、

    「そのお医者さん、家で奥さんと喧嘩でもして、虫の居所が悪かったんじゃないの?」

    と、主婦の激怒ぶりに怖じ気づきながらひきつり笑いを浮かべる。主婦は、それに対して、

    「そんなこと、わたしに関係ないじゃない!そうじゃないのよ。あの医者、わたしのことが嫌いなのよ!だから、この一週間家でずっと寝ていたんだけれど、それでも治らないから、今日また病院へ行くと、あの医者、この前はわたしも言いすぎたって、謝ったのよ。でも、こっちは忘れることなんてできないわ。あんな、言い方されて、悔しいったらない!こっちは、苦しかったり辛かったり心配だったりするから、先生に頼るんじゃない。それを、あんな言い方されるなんて、わたしのやり方が気に入らないなら、別のところで診てもらってくれなんて、無責任過ぎるわよ!」

    もう、その怒りは納まりそうにない。そのうちに、身支度を終えた女性が、タイミングを見計らって風呂から出て行ってしまった。あとには、わたしのとその主婦だけが残る。

    わたしも、早く風呂へ入りたいのだが、主婦の憤りの訴えが続いて、どうにも浴槽の方へ行けない。

    「それは、大変でしたねェ~。でも、きっと先生も申し訳ないと思われたから、謝ったんでしょうね」

    そう言いながら、その場を取り繕って、何とか主婦から離れようとした。すると、主婦は、

    「あなたみたいに電話をかけて、即、相談に乗ってもらえる患者なんて、滅多にいないんだから!」

    そう言って、ようやく脱衣所から表へ出て行ったのだった。-----で、結局、主婦は、風呂へ入る訳でもなく、怒りのままに帰って行ったので、どうやら、自分の気持ちのはけ口が見付からずに、手当たり次第に近所の人を捕まえてはうっ憤晴らしをしていたようであった。

    医師と患者のトラブルは、最近とみに多くなったように思える。

    「病院は、喧嘩場所だから気合を入れて行かなきゃ」と、いう声まであるなど、つくづく複雑な世の中になってしまったと、思う出来事だった。

    しかし、このお話には続きがあるのだ。




    その数日後のこと----。

    この間、病院での医師からの冷たい扱いに怒り心頭だった主婦が、今日は、一転、ニコニコしている。

    わたしがそばを通ると、「ちょっと、ちょっと----」と、呼び止め、ウキウキした表情で話しかけて来た。

    「あたしね、今日、また病院へ行って来たのよ」

    「え?何処か悪かったんですか?」

    「ううん、ただ、ちょっと咳が出ただけなんだけれど、この間、あの嫌みな先生が、わたしがいない時でも、体調が悪くなったらすぐに別の先生に見てもらって下さいねって言うから、今日、行って来たのよ」

    「それで、診て下さったんですか?」

    「うん、別の先生だったけれど、聴診器まであててくれて---。聴診器なんて、あててもらったの、本当に久しぶりで、びっくりしちゃった。だって、いつもは、話を聞くだけで、身体に触ってくれることなんか絶対にないから」

    「そうなんですか・・・・」

    その医師が聴診器をあててくれたというだけで、主婦は、大そうな喜びようである。

    「そしてね、その時、先生がわたしの着ている・・・・ウフフ・・・・」

    主婦が突然含み笑いをするので、わたしも、ついつられて笑う。てっきり、その主婦の太ったお腹の肉に先生が驚いたとでもいうのかと想像してしまったのだが、どうも、そうではなかった。

    「わたしの着ているボディースーツがきついんで、聴診器があてられないので、脱いで下さいって・・・・。フフ・・・・。今度は、もう少しゆるめの下着を着て来て下さいって、言われちゃった」

    確かに、主婦は、いつも自分の体形を気にしていて、診察をして頂く時もボディースーツを着て行ったのだそうである。いくら、医師に痩せろと言われているからといっても、ボディースーツでお肉を締めて行って意味があるのだろうか?と、わたしは、少々あきれた。

    でも、主婦は言う。

    「その先生が言うことには、あなたにきついことを言った先生は、本当にあなたの身体のことを心配しておっしゃっているのだから、ちゃんと指示に従って下さい-----ですって。だから、わたしのことを思って下さるから、強いことも言うんだと、やっと判った気がしたわ」

    「そうかもしれませんね」

    わたしは、相槌を打った。

    すると、主婦は、「わたし、いつもの先生に大切な患者だと思われているんだと、思ったら、嬉しくなっちゃって!」というと、この前は、びっくりさせちゃってごめんなさいねと、詫びながら、わたしの前から去ってい行った。

    これを聞いたわたしは、主婦の単純さに苦笑してしまった。

    医師が自分のことを気遣ってくれていると、思うだけで、ここまで考えが変わるものなのかと・・・・。

    医師に対する微妙な患者の心模様が、如実に垣間見えたような気がした。



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女性医師が村を去る訳 [日々の雑感 5]


女性医師が村を去る訳


 ちょっと、興味深いブログを発見した。「アメブロ」というサイトにあるブログだ。

 そこには、ある村の女性医師が心身ともに疲労困憊したため、その村から去ると言い出し、村民が困っているという記事が書かれてあった。その女性医師は、六十五歳で、夫とともに村へ赴任し、年間18日しか休みを取らず、へき地医療に心血を注いできたが、村民の要求があまりに過酷で、お盆明けに一日休養したところ、「平日に診療所を休むとは、何を考えているんだ!?」と、責められ、ついに、村を去ることを決意したというのである。

 しかし、その女性医師が村を去れば、文字通りの無医村になってしまうため、村長は、女性医師に思い直して欲しいと頼んでいるようだが、そのブログの管理人は、「田舎者は、医者、弁護士、公務員などの高給取りが羨ましくてたまらないのだから、医学生は、絶対に田舎で医者をやろうと思うな!」と、忠告するのである。

 確かに、田舎には、そうした気風がないわけではない。

 医師を先生、先生と持ち上げながら、しかしながら、その先生と世間話などすることはないし、そこで暮らす自分たちとは住む世界が違うと思い込んでいる人たちばかりである。

 その背景には、医師は高給取りだというひがみや、どうせ自分たちは学歴もないという劣等感が確実にあるものと思われる。

 だからこそ、その医師が、自分たちの思い通りに動いてくれない時の反感は、尊敬の倍返しにもなってしまうのである。

 しかし、そうした感情を村民が懐くのも実は無理からぬことなのである。そのブログ管理人は、その辺りにまで思いを致してはいないのだ。

 つまり、では、それまで医師の方はどうであったのかといえば、やはり、自分たちは選ばれた人間であるから、軽々しく下々の者とは口などきけるわけがないとの距離を取ってきたことも、また、事実なのである。

 しかも、白衣は、いわば一種の権威の象徴でもある。こういうものを見なれない田舎では、殊に、白衣に対する畏怖の念が強いものだ。

 たとえ、その女性医師が、今までの医師たちとは違い、気さくで腰の低い人だったとしても、百年以上にもわたり村民に植え付けられた医者という職業に対する意識を、一朝一夕に変えることなど、どだい不可能なのである。

 だから、わたしは、あえて言いたい。

 もしも、この女性医師が本当にこの村に根をおろして地域医療に献身したいと思うのであれば、この程度の嫌がらせにひるんでどうするのかと!これは、ある意味、非常に酷なことではあるが、彼女は一人ではないのだ。夫もそばにいるし、また理解を示し、彼女を頼りにしている村民も大勢いる。

 もし、ここで、この村を去るというのであれば、やはり彼女の気持ちの中にわずかでも選民意識があったということに他ならない。

 村の診療所の医師になるためには、自分もそこの村民になり切ることである。村人と同じ言葉をしゃべり、近所の奥さんたちともバカ話をし、時には、漬物の漬け方を教えてもらうなどの柔軟性も必要になる。

 へき地医療は、単なる慈善感覚で務まるものではないが、やり通せば、これほど奥が深く楽しいものはないというへき地医療専門の医師もいる。

 「どうせ、あんたもいつかはここから出て行くんだろう?」

 住民がそういう気持ちを懐いているうちは、風当たりが強いことも仕方がないのではないだろうか?



    

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暴走老人が増える訳 [日々の雑感 5]



暴走初老人が増える訳


 近年、自分の気持ちにブレーキがかけられない、いわゆる「暴走初老人」が増えて来たそうである。

 別に、認知症という訳ではない。

 ただ単に、我慢が出来なくなっているのである。

 先日書いた共同浴場での我がままおばさんたちの一件なども、その最たるものである。顔の知らない人に対してならば、時には好き勝手なことを言う場合もあるかもしれないが、いつも顔を合わせる近所の住人に対して、平気でそういう暴言を吐くのである。

 その人と、明日もまた顔を合わせなくてはならないのだということが判りながらも、その一瞬の怒りや欲求が抑えられないのである。

 そのため、家へ帰ってから相当に落ち込んだり悩んだりするのかと思いきや、翌日は、昨日のことなどきれいさっぱり忘れたような顔で、また、機嫌良く話しかけてきたりするのだから、開いた口がふさがらない。

 もし、その時、「あなた、昨日わたしに言ったこと、忘れたの?」と、やりこめてやれば、ようやく自分のしたことの愚かさを自覚するのだろうが、そのように大人げない会話を蒸し返す人もいないので、彼女たちは、いい気になっているのであろう。

 では、どうして、このように年配の人たちは、「暴走化」してしまったのであろうか?

 かつての女性たちは、たとえ70歳、80歳になっても、これほどタガが外れたようにはならなかったものである。

 ある人は、この現象を分析して、「ここまで我慢して来たのだから、もう、好きにさせてよ!」と、いう気持ちの爆発が起きたせいだと話しているが、現在、80歳以上の人に言わせれば、戦後の幸せな時代に生まれて、何が「好きにさせてよ」だと、一刀両断で片付けてしまうような程度の我慢しかしてこなかった世代なのである。

 この単なる「我がまま暴走初老人」が、これからの時代、世の中にすさまじい勢いで増殖して行く訳なのである。

 これは、ある意味、日本人の危機とも言える問題なのだ。

 この六十代前半から七十代の前半に渡る遠慮もくそもない、いわゆる団塊の世代が、一気に要介護老人になった時、介護者との間でトラブルが起きない訳がないのである。

 介護放棄が起きるとしたら、間違いなくこの世代に対してだと、わたしなどは今から懸念している。

 自分が健康な時は、いつか介護を受けるようになるなど想像もできないだろうが、確実に、その時期はやって来るのだ。

 「もう、ここまで我慢をしたんだから、好きにさせてよ」

 こう言いたい気持ちは判りすぎるほど判るが、結局、人間は、死ぬまで我慢を続けるしかないのだということを、もう一度自覚する必要があるのではないかと思うのである。

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親のエゴは恐ろしい! [日々の雑感 5]


親のエゴは恐ろしい!


 あるブログを読んでいたら、お友達が大事にしていた靴を盗んだ我が子が、その靴を自宅へ持ち帰って来たというのに、まったく謝ろうともしない非常識な親がいるという話題があった。

 特に、最近の親は、少子化も手伝ってか、自分の子供にやたらに甘く、我が子が問題を起こしても、必ず他人のせいにして言い逃れようとする傾向が強いそうである。

 そりゃァ、自分の子供が悪いことをしたなんて信じたくない気持ちはわかるが、それにしても、黙っていればいつかは忘れてくれるなんて虫のいい話は、そうあるものではない。

 そうかといっても、子供を持つ親の気持ちは、常識では量りかねるような場合も多いものだ。

 鳩山総理大臣の母親も、結局は、親の情を抑えることが出来ず、世の中の常識とはかけ離れた額の大金を、子供たちのために毎月渡していたのである。

 つまり、親の情とは、親のエゴということなのであろう。

 そして、この親のエゴは、何も現代社会に限ったことではない。太古の昔から普遍的に続くものなのである。

 わたしの家の近所にも、かつて、驚くべきエゴを主張したさる母親がいた。

 今から、四十年ほども昔のことである。

 わたしの家の近くに小学生の二人の娘さんがいるお宅があって、ある夜、その家の母親が自宅の居間で夕食の後片付けをしてた時、何故か、二階から人が歩きまわる音が聞こえてきたのだという。

 その家のご主人は、長期出張中で、二階にいるのは小学生の二人の娘さんだけのはずであり、その二人も既に子供部屋で寝ている時間だった。

 胸騒ぎを覚えた母親が、足音を忍ばせて、そうっと階段を二階へ上がって行ったところ、廊下に男が一人立っている姿を見つけ、仰天した。

 しかし、声をあげては男に気付かれ、何をされるか判らないので、じっと階段の陰からその様子をうかがっていたところ、男は、娘たちの部屋の障子を開けて中を覗き込み、しばらくそのまま立っていたが、やがて、そこから離れると、母親が隠れている階段の方へと歩いて来たので、彼女は慌てて階下へと下り、男がそのまま玄関から出て行くのを見定めたのだという。

 母親には、その男の顔に見覚えがあった。それは、隣の家の二十代の息子だったのである。

 母親は、男が隣家の住人だったこともあり、面倒を避けるため親戚を介して警察に連絡。男は、不法侵入の容疑で逮捕されたのであった。

 その後、男の母親が侵入された家へとやって来たので、家の者たちは当然謝罪に来たものと思ったのだが、その男の母親の口から出たものは、思いもかけない息子擁護の言葉であったという。

 「あんたの家がちゃんと戸締りをしていなかったから、うちの子が入りたくなったんだよ。しかも、二人も娘を産むなんて、あんたの方が悪い!息子が興味を持つのも当たり前じゃないか!こんなことになりたくなかったら、ここから出て行きな!」

 話にも何にもならない剣幕で、一気にまくし立てたというのだ。

 我が子を庇う母親の気持ちは、もはや、常識では考えられない域にまで達してしまっていたのである。自分の子供は何をやっても正しい。たとえそれが犯罪だろうと、我が子は決して悪くはないのである。

 親のエゴのすさまじさを見た瞬間であったと、未だに、我が家の近所でこの一件は語り草となっている。

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飛び込み診察日の出来事 [日々の雑感 5]


飛び込み診察日の出来事


    診察予約日ではないのに、少々体調に不安があると、飛び込み診察をお願いすることがある。

    そんなある日の出来事。

    病院についたら、患者さんの多いことにびっくり!!

    立錐の余地もないとは、正にこの状態ではないだろうか。待合所は、かける椅子もないほどに人、人、人・・・・。

    予め電話をした時、看護師さんが、「その日は、とにかく患者さんが多いので、かなり待つことになると思いますが、それでもいいでしょうか?」と、言っていた通りの、いや、それ以上の込み具合だった。

    そんな中、わたしの目の前を、車椅子の男性が、娘さんや奥さんとともに通り過ぎ、しばらく行った場所で、おもむろに車椅子を止めた。その直後、二十代後半と思しき娘さんが怒鳴るように言ったのである。

    「本当に、お父さんは、自分に甘く、他人に厳しいんだから!あんなに、お酒はやめなさい、お肉料理ばかり食べてはいけません、カロリーは控えめにしなさいって、先生に言われたのに、忠告を無視して、そんな食事じゃ人生終わりだなんて言って、食べ続けたから糖尿が悪化したんだよ。足が動かなくなったのだって、自己管理が悪かったのに、あたしやお母さんに面倒かけて、それでいいと思っているの!?」

    「・・・・・・・」

    車椅子の男性は、何も言えず状態のまま、娘の憤懣を黙って聞くだけである。しかし、娘さんの憤りはおさまらない。

    「お母さんだって、お父さんを甘やかすからいけないんじゃないの!ダメでも自分の足で歩かせなさいよ!」

    「そんな大きな声出さなくたって・・・・・」

    母親も娘さんの怒りを鎮めるすべがない様子だった。

    そうかと思えば、わたしが何とか空席を見つけて腰を下ろした時、隣に座っていた中学生らしいちょっと太めの少女は、一緒に腰をかけている母親に、突然、駄々をこね始めた。

    「お母さん、もう、やだ!!あたし、こんな所に居たくない!家へ帰る!」

    「もう少し辛抱しようよ。今まで待ったんだから、もうすぐ名前を呼ばれるから-----。なんなら、お母さん、診察がいつになるか訊いてこようか?」

    「いいよ、そんなこと訊きに行かなくたって-----。やっぱり、うちへ帰りたい」

    「そんなこと言ったって、変な病気じゃ困るから、診てもらおうよ」

    「だって、男の先生だよ。お尻、見せるんだよ」

    「男だって、相手はお医者さんなんだから、そんなの恥ずかしくなんかないよ」

    母親は、一生懸命、少女を説得して、診察を受けさせようとしている。やがて、少女の名前が呼ばれ、母娘は、診察室へと入って行った。

    そして、しばらくして出て来た少女は、何故か、ルンルン気分でニコニコしている。

    「やっぱり、ただの切れ痔だったんだ。よかった!」

    「診てもらって良かったじゃないの。これで安心できるよ。お薬、ちゃんともらって帰らなきゃね」

    母親も、本当にほっとした表情であった。すると、そこで少女が一言。

    「お母さん、さすがは、医者だね。あの若いのやるじゃん!」

    これには、周囲の患者たちも思わず笑いをかみ殺した。母親は、赤面しながら、少女の腕を掴んで帰って行った。[るんるん]

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あごの骨が薄い!? [日々の雑感 5]


あごの骨が薄い!?


 わたしの病気が最初、白血病に疑われたのには、レントゲン写真に写った骨が、あまりに透けていたということが理由の一つにあるようです。

 どうも、白血病の疑いがある人の骨は、白くはっきりとは写らないようで、わたしも、ちょうどそんな感じだったのだと思うのです。

 それはそうでしょうね。

 この年齢で、これほどに骨が薄くなっている人間なんて、あまりいませんから。

 そんなこともあり、先日、歯医者さんで撮ったレントゲン写真を今日の治療中に見せて頂いたところ、やはり、あごの骨がはっきりと写っていませんでした。

 他の若い患者さんのあごの骨の写真と比べてみると、一目瞭然で、他の患者さんのあごの骨は、境界まではっきりと白く写っているのですが、わたしのは、なんと、あごの骨がない----くらいのささやかな写り方。

 さすがの歯科医師の先生も、

 「おっかない病気があるもんだねェ~~」

 と、驚いておられました。

 「はい、ひどい時は、顔自体が小さくなりましたし、歯もガタガタでした。今とは、相当人相も違ったと思います」

 そう答えると、

 「とにかく、普通の人よりも骨が薄いことは事実だから、転んだり、ぶつかったり、殴られたりしないでくださいね」

 先生は、真面目におっしゃいます。

 転んだり、ぶつかったりは、判りますが、殴り合いのケンカは、たぶんしないと思いますから(いや、場合によってはやることもあるか・・・・。昔は、これでも、腕力には自信があった)、ちょっと、おかしかったです。

 でも、もしも、わたしを殴ったら、ほんの少しの衝撃で顔面骨折などということにもなりかねませんから、

 「そんなに力を入れていなかったのに-------」

 なんて、加害者が弁解しても、あとの祭り。相当の重罪になってしまうことでしょうね。(爆)

 皆さん、骨は大事ですよ。

 足腰が痛いからといって、家の中で座ってばかりいると、大変なことになりますよ。しかし、どんなに減った骨でも、努力次第でかなり回復できるものです。

 骨は苛めなければ、強くなりません。

 頑張って苛めたおかげで、わたしの場合、身長も現在は五、六センチほど元に戻りました。

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患者は、お客さま? [日々の雑感 5]


患者は、お客様?


    ご近所の主婦の方たちと病院談義になった時、一人の主婦がこんなことを言いだした。

    「あそこの病院は、待遇あまり良くないよね。患者の名前なんか、『さん』付けだわよ」

    「そうそう、看護師さんたちもガサツな感じで、何か頼んでも、いっつも後回しにされちゃう」

    「『さん』付けで、良いんじゃないんですか?患者さんって、呼び方で------」

    わたしが首を傾げると、主婦たちは、二人とも大きく頭(かぶり)を振り、

    「何言ってんの、今の時代、いい病院は何処も患者の名前には『様』を付けて呼ぶんだよ。山本さまとか、小林さまとか----。それが当たり前なんだから。看護師さんばかりじゃないよ。お医者さんだって、そうなんだから」

    「そうそう、もう、〇〇病院なんて、高級ホテルだよね~。看護師さんも親切で、至れり尽くせり。いつもニコニコしていて、ホント感じがいいんだからさ。先生たちだって、患者の前では、ホストみたいだって言うしネ~」

    「ホストですかァ----?なんか、それって、おかしくないですかね?お医者さんは、病気を治すのが仕事ですよね。患者をホテルの客のように扱えっていうのも、酷な話ですね」

    わたしが眉をひそめると、主婦の一人は、

    「今は、そんなの当たり前よ。病院だって、患者たちに快適に過ごしてもらいたいから、一生懸命なんだよ。それに、悪い評判が広まれば、そんな病院に患者は来なくなるから、△△病院なんて、建物も綺麗にして、病室も広くて使い勝手がいいし、院内には、コンビニや喫茶店、レストランまで揃っていてさ----。サービス満点なんだからね」

    「そんなもんですか・・・・」

    そこまで立派な病院があるなんて知らないわたしは、ただただ、驚くばかりだった。

    でも、この主婦たちは、どうしてそんな待遇面ばかりに目を向けているのだろうか?病院の本分は、患者の病気を治すことにあるのではないのだろうか?どれほど患者に対する待遇がよくても、治療が下手だったらそんなものは何の価値もない。

    過剰なサービスに気を取られて、スタッフたちの本来の仕事がおろそかになっては、本末転倒である。

    病院へ行くなど誰しも嫌なものである。

    ましてや、入院などとなれば、二の足を踏みたくなるのが当然の反応だ。そうした患者の気持ちを少しでも抵抗のないものにしようと頑張る、病院スタッフの努力には頭が下がる思いだが、しかし、わたしは、それでもやはり、『さん』付けでいいから、腕のいい医師や看護師のいる病院で診て頂きたい。

    病院スタッフと患者の信頼関係は、表面上のサービスで計れるものではないと思うから・・・・。

    一人の患者さんが亡くなった時、力の至らなさに悔し涙をこらえる医師や看護師たちがいる病院こそが、真に患者が求めている病院だと思うのである。



    

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