患者は、お客さま? [日々の雑感 5]


患者は、お客様?


    ご近所の主婦の方たちと病院談義になった時、一人の主婦がこんなことを言いだした。

    「あそこの病院は、待遇あまり良くないよね。患者の名前なんか、『さん』付けだわよ」

    「そうそう、看護師さんたちもガサツな感じで、何か頼んでも、いっつも後回しにされちゃう」

    「『さん』付けで、良いんじゃないんですか?患者さんって、呼び方で------」

    わたしが首を傾げると、主婦たちは、二人とも大きく頭(かぶり)を振り、

    「何言ってんの、今の時代、いい病院は何処も患者の名前には『様』を付けて呼ぶんだよ。山本さまとか、小林さまとか----。それが当たり前なんだから。看護師さんばかりじゃないよ。お医者さんだって、そうなんだから」

    「そうそう、もう、〇〇病院なんて、高級ホテルだよね~。看護師さんも親切で、至れり尽くせり。いつもニコニコしていて、ホント感じがいいんだからさ。先生たちだって、患者の前では、ホストみたいだって言うしネ~」

    「ホストですかァ----?なんか、それって、おかしくないですかね?お医者さんは、病気を治すのが仕事ですよね。患者をホテルの客のように扱えっていうのも、酷な話ですね」

    わたしが眉をひそめると、主婦の一人は、

    「今は、そんなの当たり前よ。病院だって、患者たちに快適に過ごしてもらいたいから、一生懸命なんだよ。それに、悪い評判が広まれば、そんな病院に患者は来なくなるから、△△病院なんて、建物も綺麗にして、病室も広くて使い勝手がいいし、院内には、コンビニや喫茶店、レストランまで揃っていてさ----。サービス満点なんだからね」

    「そんなもんですか・・・・」

    そこまで立派な病院があるなんて知らないわたしは、ただただ、驚くばかりだった。

    でも、この主婦たちは、どうしてそんな待遇面ばかりに目を向けているのだろうか?病院の本分は、患者の病気を治すことにあるのではないのだろうか?どれほど患者に対する待遇がよくても、治療が下手だったらそんなものは何の価値もない。

    過剰なサービスに気を取られて、スタッフたちの本来の仕事がおろそかになっては、本末転倒である。

    病院へ行くなど誰しも嫌なものである。

    ましてや、入院などとなれば、二の足を踏みたくなるのが当然の反応だ。そうした患者の気持ちを少しでも抵抗のないものにしようと頑張る、病院スタッフの努力には頭が下がる思いだが、しかし、わたしは、それでもやはり、『さん』付けでいいから、腕のいい医師や看護師のいる病院で診て頂きたい。

    病院スタッフと患者の信頼関係は、表面上のサービスで計れるものではないと思うから・・・・。

    一人の患者さんが亡くなった時、力の至らなさに悔し涙をこらえる医師や看護師たちがいる病院こそが、真に患者が求めている病院だと思うのである。



    

<今日のおまけ>


    どうして、わたしには恋人が出来ないのだろう・・・・?と、悩んでいる人はいませんか?

    恋人に限らず、友人でも同じことですが、そういう人は、とかく友達もあまり多くはないはずです。

    「わたしの顔がいけないのかしら?美人じゃないし・・・・」「おれって、話題が少ないからなァ・・・・。飽きられてしまうのかも・・・・?」

    そんなことは、ありません。顔など十人並みだろうと、話題が少なかろうと、問題は、そんなところではないのです。

    つまり、周りが、あなたにどうしても親近感を抱けないということが、最大の理由なのです。

    親近感が持てなければ、周囲のあなたとの付き合い方も、上辺だけのものになることは当然です。

    この人に腹話をしても、きっと、親身になって聞いてくれることはないだろう----。態度がいつも他人行儀で、身体中にバリアを張り巡らしているに違いない----などと、いう印象を持たれていては、もちろん、声もかけづらくなりますし、ましてや、好意など感じてもらうことは出来ません。

    そんな原因の一つに、あなたが日ごろ使っている言葉が影響していることが、往々にしてあるものなのです。

    ここに一つ、ユニークな例があります。

    これは、かなり前のことになりますが、歴史好きな女性たちの間で、ある話し方がブームになったことがありました。それは、言葉の語尾を、「~~~なァ」と、するものなのです。

    たとえば、「旅行に誘われているのだけれど、どうしようかなァ・・・・?」とか、「そういうのって、よく判らないなァ・・・・?」などと、使います。これは、ある歴史小説に出て来る人物の口癖を真似た言い方なのですが、女性が使うと殊に可愛らしく感じられるということで、流行ったことがあったのです。

    つまり、日本語は、いわゆる「語尾で感情を表す言葉」とも言えるのです。

    「おれは、やる」「おれは、やるよ」「おれは、やるぞ」「おれは、やるぜ」-----この四パターンを見ただけでも、その言葉のニュアンスが微妙に違うことがお判りになるでしょう。

    では、ここで質問です。あなたは、以下のどちらの言葉の方に、より相手への親近感を覚えますか?

    「今度の試合だけれど、ぼくときみなら、絶対勝てるよ!」

    「今度の試合だけれど、ぼくたちなら、絶対勝てるよ!」

    さあ、如何ですか?わたしが当事者ならば、断然、後者の言葉を言われた方が、よし、この人と一緒に頑張ろうという気持ちになると思います。

    「ぼくときみ」よりも「ぼくたち」の方が、人間は、より強く相手との同調性を感じることが出来るのです。

    ですから、もしも、あなたが恋人や友人との間に同調性を感じたいと思うのなら、「ぼくたち」「わたしたち」という言い方を積極的に使ってみることも一つの手かもしれません。

    そのことからも、もしも、恋人同士が別れることになっても、相手が切り出した別れ話の言葉の語尾が、「ぼくたち、もう別れようか・・・・」と、いう時には、案外、言っている相手にも未練があると思った方が良いかもしれないのです。

    しかし、これが、「ぼくときみは、やはり、合いそうもない。もう別れよう」と、いう言い方になれば、これは、即行、別れて、違う相手を探した方が賢明だと思われます。

    日本語の語尾は、正に使いようです。上手に使って、社会生活を円滑にしてみようではありませんか。




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