暴走老人が増える訳 [日々の雑感 5]
暴走初老人が増える訳
近年、自分の気持ちにブレーキがかけられない、いわゆる「暴走初老人」が増えて来たそうである。
別に、認知症という訳ではない。
ただ単に、我慢が出来なくなっているのである。
先日書いた共同浴場での我がままおばさんたちの一件なども、その最たるものである。顔の知らない人に対してならば、時には好き勝手なことを言う場合もあるかもしれないが、いつも顔を合わせる近所の住人に対して、平気でそういう暴言を吐くのである。
その人と、明日もまた顔を合わせなくてはならないのだということが判りながらも、その一瞬の怒りや欲求が抑えられないのである。
そのため、家へ帰ってから相当に落ち込んだり悩んだりするのかと思いきや、翌日は、昨日のことなどきれいさっぱり忘れたような顔で、また、機嫌良く話しかけてきたりするのだから、開いた口がふさがらない。
もし、その時、「あなた、昨日わたしに言ったこと、忘れたの?」と、やりこめてやれば、ようやく自分のしたことの愚かさを自覚するのだろうが、そのように大人げない会話を蒸し返す人もいないので、彼女たちは、いい気になっているのであろう。
では、どうして、このように年配の人たちは、「暴走化」してしまったのであろうか?
かつての女性たちは、たとえ70歳、80歳になっても、これほどタガが外れたようにはならなかったものである。
ある人は、この現象を分析して、「ここまで我慢して来たのだから、もう、好きにさせてよ!」と、いう気持ちの爆発が起きたせいだと話しているが、現在、80歳以上の人に言わせれば、戦後の幸せな時代に生まれて、何が「好きにさせてよ」だと、一刀両断で片付けてしまうような程度の我慢しかしてこなかった世代なのである。
この単なる「我がまま暴走初老人」が、これからの時代、世の中にすさまじい勢いで増殖して行く訳なのである。
これは、ある意味、日本人の危機とも言える問題なのだ。
この六十代前半から七十代の前半に渡る遠慮もくそもない、いわゆる団塊の世代が、一気に要介護老人になった時、介護者との間でトラブルが起きない訳がないのである。
介護放棄が起きるとしたら、間違いなくこの世代に対してだと、わたしなどは今から懸念している。
自分が健康な時は、いつか介護を受けるようになるなど想像もできないだろうが、確実に、その時期はやって来るのだ。
「もう、ここまで我慢をしたんだから、好きにさせてよ」
こう言いたい気持ちは判りすぎるほど判るが、結局、人間は、死ぬまで我慢を続けるしかないのだということを、もう一度自覚する必要があるのではないかと思うのである。