諏訪の御柱で残念な出来事 [日々の雑感 5]
諏訪の御柱で残念な出来事
以前、新聞の投書欄を読んでいたら、諏訪の御柱祭の山だしと呼ばれる御柱曳行の際に、とても残念な出来事があったと、書かれていた。
それは、一人の小さな男の子が、山だしの途中の御柱にまたがろうとした時のことであったらしい。
御柱は、山から切り出したものを各地区の祭りに携わる男衆が里へと引き出して行くのだが、その巨大な御柱が曳かれて行く時、その柱の担当の地区の子供たちは、柱に触ったり、引き綱を一緒に引いたり、柱の上にまたがったりすることができるそうなのである。
ところが、各地区の男たちは、その地区ごとに違う色の装束やたすき(紐)を身につけているそうで、同じ地区の子供たちもそれと同じ色のたすきをかけているというのである。
しかし、その男の子は、どうやらその御柱の担当地区の子供ではなかったようで、たすきの色が違ったのである。
途端、その男の子に向かって、役員らしい一人の高齢の男性が、もの凄い形相で怒鳴りつけたというのである。
「紐の色が違う奴は、乗るんじゃねぇ!」
その剣幕に驚いた男の子は、一瞬、ビクンッとして父親らしき若い男性の陰に隠れると、その男性とともに人ごみの中へ去って行ってしまったというのだ。
どうして、高齢者のしかも男性は、祭りとなるとこれほどまでにも人格が豹変してしまうのだろうか?
おそらくは酒も入っていたのだろう。そして、昔ながらのしきたりを重んじようとする頭の方が先走ってしまうのかもしれない。それよりも、自分が小さな頃も同じようなことをして、祭りを仕切るお年寄りたちに叱られた経験があるのかもしれない。
しかし、それにしてもだ。御柱祭を楽しみにして、装束まで付けて柱に乗ろうと思っていた子供に対して、この言い方はどうなのだろうか?
どの地区の御柱だろうと、子供が楽しみにしていることを、神様が不快に思うはずはない。
男の子だろうと、女の子だろうと、乗りたい子供は皆乗せてやればいいのだ。その時の思い出が素晴らしければ、また自分たちが大人になった時に、この祭りを盛り上げようという気持ちにもなるというものである。
わたしの近所にも、子供の頃、秋祭りの灯篭担ぎをさせてもらえなかったというだけで祭りの寄付を拒んでいる男性がいる。子供にとってお祭りの記憶がどれほど強く印象付けられるかということが、大人は忘れてしまうのである。
祭りの際に受けた屈辱が忘れられず、社殿に火を付けたという人物の話も聞いたことがある。
この怒鳴られた男の子が大人になった時、「諏訪の御柱になど絶対に協力するものか!」と、いう気持ちにならないという保証はない。
なんと、罪作りなことをしてしまったのだろうかと、腹立たしささえ覚えた投書内容であった。