共同浴場で・・・ [ちょっと、一息 11]
共同浴場で・・・
昨日から、どうにも腹立たしさが消えない。
昨日は、こちらの共同浴場の湯はらい日で、せっかくお湯が新しく入れ替えられて綺麗になったというのに、わたしが夕方行ってみたら、近所の女性が親戚の子供を連れてきていて、出湯を止め、溜まり湯にして入っていたのだ。
当然のことながら、湯船のお湯は濁り、まるでプールかと思うほどに冷めていた。
こちらは急いで入りたいので、「出湯を出してくれない?」と、頼んだところ、その女性は、「すみません」と、一応謝りはしたものの、子供に向かって、
「ほら、早く入らないと、お湯が熱くなっちゃうよ」
と、何とも嫌みたらしい口をきく。
この女性、時々外湯で一緒になるのだが、自分一人の際も必ず出湯を止めて、湯船の中でスクワットをしたり足踏みをしたりと、マナーの悪さこのうえなしなのである。
しかも、女性にしては身体が大きいので、動くたびにお湯が揺れて、一緒に浸かっている時など危うく溺れそうになるくらいだ。
そして、出湯を止めたら止めっぱなしで家へ帰ってしまう。
そこで、今回は仕方なく注意をしたのだが、一緒に来ていた女性の母親が、彼女に輪をかけて嫌みの言いたい放題であった。
今、女性の父親が介護施設で植物状態だという噂もあるので、こちらもあまり強いことは言わなかったのだが、そうやって近所の人たちが気を遣うことに味をしめ、近頃はますます勝手な振る舞いが目立つようになってきた。
さすがに、今日そのことを別の近所の主婦にくどいたところ、
「ああ、あの人たちだよね、判る判る。家庭風呂じゃないんだから、いい加減にしてもらいたいよね」
と、言っていた。
どうやら、わたしの知らないところで、皆困っていたようだ。
だから、今日は、あの女性が入らない時間に、ゆっくりと綺麗なお湯に入って来たいと思います。
<今日のおまけ>
一年前の大地震発生時、あなたは何処で何をしていましたか?
わたしは、いつもと変わらず家でテレビを観ていました。
しかし、地震が来ても突然の大報道にはならず、そのことが逆に不気味でした。
阪神大震災の時もそうでしたが、災害の規模が大きければ大きいほど、報道らしい報道がないのです。
それは、災害を伝える人々や設備が機能不全に陥っている証拠でもあるのです。
復旧を急ぐうちは気持ちにも緊張があり生きることに前向きですが、問題はこの一年が過ぎてからの被災者の心のケアだといいます。
一番怖いのは、「取り残され感」だそうです。
これからは、「復旧復興を急ごう」ではなく、「ゆっくり生きて行こう」が大切になるのだと思います。