ちょこっと、いいこと。 [ちょっと、一息 11]
ちょこっと、いいこと。
今日の午後、散歩をしていたら、下校途中の小学生の女の子に「こんにちは」と、挨拶をされた。
ハーフの女の子で、何処かの少女雑誌から抜け出して来たような可愛さだった。
同じようにその子とすれちがった中学生の女子生徒たちも、思わず振り返りながら、
「キャ~~、見た?あの可愛いさ、何なの?」
と、ビックリ。そして、一人の生徒が一言。
「何で、うちのかーちゃん、あたしをハーフに産んでくれなかったんだろう」
実感こもっていたなァ・・・。
栄村大震災から一年 [ちょっと、一息 11]
栄村大震災から一年
栄村に大地震が襲って一年が経ちました。
この県北部地震については、わたしも昨年暮れ発行の長野市民新聞に書かせて頂きましたが、この地震による復興が難しいのは、村が超高齢社会であるという現実と、11月の終わり頃から4月にかけて豪雪に覆われ、村住建設などの復興工事を行なう期間が実に短いというところにあるのです。
テレビのニュース特集では娘夫婦を頼って松本市へ移り住んだ夫婦は、それでも栄村へ帰りたいと涙ぐんでいました。
「松本で友だちを作って楽しく暮らしたいと思ったが、やはり、無理だ」
と、夫婦は言います。
それも当然だと思います。
栄村の友だち付き合いというのは、親戚付き合い以上のものなのですから。
あるところまでは付き合うが、ここから先はダメというような限定的な友人付き合いを想定している松本市民とは、相容れないことも多いでしょう。
家のドアに鍵をかけないという習慣さえある栄村ですから、下駄ばきヘルパーという全国的にも類を見ない住民協力介護制度が成り立っているのです。
しかし、今やこの下駄ばきヘルパー制度も、震災による高齢者の離散により存続が危ぶまれているそうです。
絵手紙で住民の気持ちがつながっていることでも有名な栄村ですが、そうした若い人たちの復興への取り組みと高齢者の復興への期待が噛み合っていないようにも思えます。
マスコミなどで安易にもてはやされている表向きや小手先の栄村エールではなく、もっと住民の現実に則した地に足のついた生活環境の整備が急がれるのではないでしょうか。
福島の瓦礫(がれき)は・・・ [ちょっと、一息 11]
福島の瓦礫(がれき)は・・・
また、雪景色になってしまいましたね。
しかも、吹雪です。
これが、本当に三月か----と、思ってしまう光景ですね。
今日も朝から国会中継を放送していますが、やはり、復興のさまたげとなっている福島の瓦礫問題は大きいようです。
一年前の大震災後は、「日本は一つ」「ぼくたちがいる」「絆プロジェクト」「つながろう日本」などと、テレビでもタレントや市民が連日連夜叫んでいたはずなのに、
「少しでも瓦礫を引き受けて下さい」
と、国が言い出した途端に、それとこれとは別----とばかりに、全国の自治体が弱腰になりました。
総論賛成、各論反対の理屈ですね。
農林水産省は、国有林への瓦礫の一時保管を認める姿勢のようですが、環境省としては、それは放射能の影響がない場所の瓦礫のことだと言います。
国の姿勢も一貫してはいないようです。
各自治体は岩手、宮城両県の震災ゴミを受け入れることにも躊躇いがあるようで、一番のネックは、「子供たちの健康に悪影響が出ないか?」ということなのでしょう。
これに関しては、誰も「でません!」と確約できないのが二の足を踏ませている原因なのだと思います。
長野県内の住民でも、大震災当初、放射能の恐怖感から他県へ逃げ出したという人もいたくらいですから、放射能汚染のことを考えると、今も吐き気がしたり気分が悪くなるという極度の不安症を患っている人もいるそうです。
受け入れはしたものの、受け入れ側の住民たちが神経を病んでは意味がありませんし、これは本当に困った問題だと思います。
昨日の大震災特別番組の中で、被災地の男性住民がこんなことを話していました。
「阪神大震災の時は、あっというまに復興ができた。都会には国民も関心があるが、やはり田舎は見捨てられているのだと思う」
本当に、人ごとではありません。
近頃は、テレビのワイド番組でもやらたに「首都圏に直下型の大地震が来るかもしれない」と、特集を組んでいますが、どうしてそんなに東京のことばかり取り上げるのでしょうか?
長野県民にとっては、正直、東京も一地方にすぎません。
やはり、都会のおごりが見え隠れして、あまり良い気持ちはしないというのが本音です。
共同浴場で・・・ [ちょっと、一息 11]
共同浴場で・・・
昨日から、どうにも腹立たしさが消えない。
昨日は、こちらの共同浴場の湯はらい日で、せっかくお湯が新しく入れ替えられて綺麗になったというのに、わたしが夕方行ってみたら、近所の女性が親戚の子供を連れてきていて、出湯を止め、溜まり湯にして入っていたのだ。
当然のことながら、湯船のお湯は濁り、まるでプールかと思うほどに冷めていた。
こちらは急いで入りたいので、「出湯を出してくれない?」と、頼んだところ、その女性は、「すみません」と、一応謝りはしたものの、子供に向かって、
「ほら、早く入らないと、お湯が熱くなっちゃうよ」
と、何とも嫌みたらしい口をきく。
この女性、時々外湯で一緒になるのだが、自分一人の際も必ず出湯を止めて、湯船の中でスクワットをしたり足踏みをしたりと、マナーの悪さこのうえなしなのである。
しかも、女性にしては身体が大きいので、動くたびにお湯が揺れて、一緒に浸かっている時など危うく溺れそうになるくらいだ。
そして、出湯を止めたら止めっぱなしで家へ帰ってしまう。
そこで、今回は仕方なく注意をしたのだが、一緒に来ていた女性の母親が、彼女に輪をかけて嫌みの言いたい放題であった。
今、女性の父親が介護施設で植物状態だという噂もあるので、こちらもあまり強いことは言わなかったのだが、そうやって近所の人たちが気を遣うことに味をしめ、近頃はますます勝手な振る舞いが目立つようになってきた。
さすがに、今日そのことを別の近所の主婦にくどいたところ、
「ああ、あの人たちだよね、判る判る。家庭風呂じゃないんだから、いい加減にしてもらいたいよね」
と、言っていた。
どうやら、わたしの知らないところで、皆困っていたようだ。
だから、今日は、あの女性が入らない時間に、ゆっくりと綺麗なお湯に入って来たいと思います。
ショックなこと [ちょっと、一息 11]
ショックなこと
今日は、ショックなことが二つあった。
一つは、街中の有名老舗おまんじゅう屋さんが一軒閉店するかもしれないということ。
もう一つは、四十年間地域に愛されてきた理容店がこの春閉店となることだ。
街がどんどん寂しくなって行くような気がして、一瞬頭の中の整理がつかなかった。
それもこれも、この日本史上最長の不景気が影響しているのだと思う。
生まれてこの方景気が良い時など見たことがないという若者世代が社会経済を動かす中心になっているのだから、景気の失速に歯止めがかからないのも当然である。
自分では贅沢をしているような気がしていても、気持ちが伴わない贅沢は結局経済を動かすことはできないのだ。
贅沢や豊かさというものは、お金ではなく心持ちをいうのである。
楽しむことを自慢のタネにしようなどというセコい根性では、真のゆとりなど生まれるはずがない。
「金持ち自慢せず」と、昔からいうではないか。
「常に自分のことだけしか考えない人、他人が褒められたりすると無性に癪にさわる人、人からチヤホヤされても、してくれた人にお返しが出来ない人、平気で嘘をつく人、こういう人が世の中をダメにしているのだ」と、ある評論家は話していた。
心の貧しさが、社会の貧しさにもつながるのかもしれない。
何となく、そんなことを考えてしまう一日でした。
占いにはまる性格とは [ちょっと、一息 11]
占いにはまる性格とは
先日、テレビを観ていたら「占いにはまりやすい人の性格」という話題を取り上げていた。
どうやら、巷で話題になっている女性お笑いタレントが、占い師の女性に依存して仕事を放り出してしまったということから発展した性格分析らしい。
たとえば、自分を見失うほどに占いに依存してしまうと、食事に何を食べたらいいのか、またどんな順番で食べたらいいのかさえも自分自身では決められなくなるという。
そんなことになったら、日常生活のすべてを占いに従って行動しなければにっちもさっちも行かなくなるというものだ。
しかし、テレビ番組でも占いすべてを否定しているわけではなく、人生の参考にする程度の占いなら信じてみるのも、案外気分転換的にいいのかもしれない。
かの野田総理も毎日の朝のワイドショーで放送される占いコーナーがお好きなようだし、もしも観忘れた時などは秘書に「今日の運勢はどうだった?」と、訊くそうである。
まあ、総理大臣はかなり孤独だというから、占いを頼りたくなる気持ちも判らなくはないが・・・。
下駄占いなどで、破れかぶれにTPP参加や消費税アップを焦るようなことだけはして欲しくはないものである。
で、その占いにはまりやすいか、そうでないかは、こんな性格診断でもわかるのだとか。
★ 時間にルーズである。
★ 自分はちゃらんぽらん人間だ。
★ 日記などつけたことがない。
★ 人の話を最後まで聞かない。
★ 現金以外は信用しない。
★ 相談出来る友人が多い。
★ 打算的で合理主義者だ。
★ 多趣味である。
★ 将来や未来の話をするのが嫌い。
こんな人は、簡単に占い依存にはなりにくいのだという。
つまり裏を返せば、ごく普通の神経の人は、ほとんど占いにはまりやすい要素を持っているということだろう。
まあ、昔から占いというものは当たるも八卦当たらぬも八卦----と、いうくらいなのだから、のめり込むことなく、娯楽の一部ぐらいの感覚で利用した方がいいのだと思う。
因みに、わたしも時々は星座占いなどを見たりもしますが、良い兆候しか信じません。
脱 稿 [ちょっと、一息 11]
脱 稿
だっこう!
「だっこう」といっても痔ではない。
原稿が一応、書き上がったということである。
しかし、まだ、手直しが必要かも・・・。
とはいえ、この寒さの中、小さな電気ストーブのみで良く頑張った!
まあ、えらい風邪もひき、その他もろもろの煩わしい症状も重なって、ほぼ三ヶ月あまり家の中に缶づめだったが・・・。
今日の血液検査の結果「乳び」が高いらしい。
運動もせずに食パンにマーガリンを塗って食べていたからかな?
因みに、乳びは「乳麋」と書く。
興味のある方は調べてみて下さい。
で、病院の売店でおにぎりを買おうと思ったが、売り切れていたので「山菜おこわ」と「納豆もち」を買った。
天皇陛下が針で胸水を抜かれるというニュースを観たが、今日は病院で二人のお年寄りが胸水を抜いていた。
局所麻酔で針を刺すようだ。
何か、ちょっと痛そうだった。
話は変わるけれど、テレビで観た映画の「トランスポーター」----だったかな?
あの荷物になっていた女性(ウクライナの環境相の娘)のうなじに「安」の文字が刺青されていたけれど、あれって、どういう意味なんだろう?
誰か、漢字の意味を教えてやればよかったのに・・・と、思ってしまった。
どうせなら、「美」とか「麗」の方が良かったと思うのだけれど・・・。
最近のブログは・・・ [ちょっと、一息 11]
最近のブログは・・・
最近のブログの傾向として、ブロガーの年齢が若くなって来たのか以前のような時事ネタや社会派の記事を書いてもあまりアクセス数が上がらないようになりつつあるようだ----と、何かの文章で読みました。
そういえば、向こうのブログを読んでいてもほとんどの記事がノウハウ物や政治ネタをやめて、日常生活に関係したものに落ち着き始めているような気がします。
今までは何処そこへ旅行をしたとか、何を食べたなどの記事が、自分のステータスを誇示するかのように書き連ねられていたのですが、近頃はそうした自慢記事が少なくなり、ごくごく普通の毎日を淡々と書くブログが多くなって来たように感じます。
しかも、ある程度の年配者のブログはあまり読まれなくなり、三十代ぐらいまでの若者のブログが人気のようで、食べ物ブログも一頃よりは勢いを見せなくなりました。
たぶん、以前マスコミで話題になった例のブログポータルサイトの「食べログ」なるものの不正問題の一件が尾を引いているのではないかと想像されますが、それよりもなによりも、やはり東日本大震災の影響が大きいのだと思います。
きっと日本人全体が復旧、復興のためにあまり一気に力を入れ過ぎて、精神的にも疲れが出はじめているのではないでしょうか。
そんな頭で小難しい記事など読みたくはありませんよね。
だから、息するかわりに読めてしまうような手軽で肩の張らないブログが人気になっているのではないかと思います。
そういう類の軽いブログ----「軽ログ」とでも呼びましょうか・・・を書くのは、若い人の方が年配者よりも断然上手ですから。
正に、ブログは世につれ人につれ----ですね。
七人の外科医の感想 [ちょっと、一息 11]
七人の外科医の感想
長野市民新聞で連載中の『地域医療最前線~七人の外科医~シリーズ』への読者の方々からの感想を頂きました。
本当にありがとうございます!
読者の皆さまが楽しみにお読み下さっているとのメッセージを頂きまして感激しております。
これからも、ご愛読のほどよろしくお願いいたします。
ところで、昨日の『秘密のケンミンSHOW』で、東京一郎夫妻が長野市へ転勤したという設定のミニドラマを放送していましたが、そこで、何故長野県民は議論好きなのか?という話題になり、タレントの峰竜太さんが面白い説を唱えていました。
「長野県は寒いので議論をすることで熱くなり、暖房代わりにしているんだ」
これは、実にユニークな発想だと思いました。
確かに信州人は昔から読書人口が多く、学問や知識を蓄えることを一種のステータスとする気風があるようで、冬場の寒さも手伝って外での活動が制限されるためか、県民が二人以上寄り合うと必ず天下国家を論じあうという風潮があったようです。
でも、番組内でもテロップされていたように、信州人の議論好きは議論だけにとどまり、ほとんど行動とは結びつきませんよね。
つまり、行動する前にそれが如何に難しいことかを知ってしまうため、そこからの一歩が踏み出せないようです。
知識が逆に足かせになっている----と、いうことなのかもしれません。
それにしても、七味唐辛子をざる蕎麦の上へ直に振りかけたりする人がいるんですね。
こたつ周りに欠かせない長座布団が他県にはないらしいことにも驚きました。あれって、便利なんですけれどね。
それに、何処でも締めくくりには必ず行なう「バンザイ三唱」-----そういえば、結婚式では間違いなく皆さんやりますし、場所によっては運動会やお祭りなどでも付きものですね。
野沢菜漬けを「おはづけ」と呼ぶのも信州独特なようですね。
出来ればお茶は飲んでも飲んでも継ぎ足すという風習も取り上げて欲しかったなァ・・・。
これって、案外他県の人はびっくりするようですよ。
「わんこそば」ならぬ「わんこお茶」だ----なんてね。
長野県民は当たり前だと思っていることも、他都府県の人たちには奇妙に思えることって、意外に多いものですね。
鯉のはらわたまで食べるという風習は、長野市民オンリーなのかな?
鯉って、「あらい」ぐらいしか食べたことがないので、良く判りません。
それから、所ジョージさんが司会をやっている「笑ってコラえて」だったと思うんだけれど、日本人がイタリアで行なわれたジェラート世界一を決める大会へ初参戦した番組を放送していましたが、日本人若手シェフたちが悪戦苦闘しながら頑張る姿が印象的でした。
ただ、やはり、他の国のチームに比べて独創性が乏しかったかなァ・・・と、思いましたね。
もっと、「和」のテイストを強調しても良かったのでは?
日本には抹茶アイスや小豆を使った小倉アイス、お餅でアイスクリームをくるんだ雪見などもあるんですから、奇をてらわずもう少し直球勝負した方が審査員の受けは良かったような気がしました。
まあ二十代から三十代前半の若いジェラート職人たちのチームでしたから、そこまで気が付く余裕がなかったのかもしれませんね。
二年後、また頑張って欲しいと思いました。
久しぶりに散歩 [ちょっと、一息 11]
久しぶりに散歩
本当に久しぶりに散歩に出ました。
お正月に風邪を引いてからどうも調子が悪く、原稿なんぞも書いているので、ついつい散歩に出るのがおっくうになってしまいます。
今日は少し暖かかったので、頑張って外へ出てみました。
道は凍っていて足元がかなり危険なので、そうとう慎重に歩かねばなりません。
途中、いきなり犬に吠えられた時は、マジで転ぶかと思いましたね。
雪道のそばに飼い犬をつないでおくのは、考えものです。
もしも、吠え声に驚いて歩行者が転倒してけがをしたら、飼い主が責任を取ることになるのでしょうね。
かなり前にも、わたしが歩いている目の前で犬に吠えられ転んだおばあさんがいましたが、本当に危なかったです。
番犬は確かに必要ですが、誰かれ構わずに吠えたてる犬は、何とかして欲しいと思います。
ところで、『相棒』の及川くん、本当にこれで降板なんでしょうか?
何だか、ちょっと残念ですね。
何があったんでしょうか?
結婚もして順風満帆だと思っていたのですが・・・。
やはり、右京と神戸という似たようなキャラが問題だったのかなァ・・・。
今度は誰が相棒に選ばれるのか?かつての亀山的路線へ戻すのか?
ど~~なんでしょう?
『CSI:マイアミ』も新シリーズ放送が始まり、これも楽しみです。