田舎の祭りには身分制度が復活 [日々の雑感 5]



田舎の祭りには身分制度が復活


    今年の五月五日には、わたしの住む地域でも御柱祭が行なわれました。

    一見楽しい田舎のお祭りですが、御柱祭に限らず、こうした田舎のお祭りほど、その土地に昔から住む家系を持つ家族と、よそから移り住み、その土地で暮らした歴史の浅い家族との差が、歴然と表れるものもないのです。

    古くからその土地に住む、いわゆる「生(お)いつき」と、呼ばれる人たちの子供は、真っ先にお祭りの重要な役割を担わされるのです。でも、その他大勢の子供たちは、そういう大役をやりたいと思っても、声もかけてはもらえません。

    実は、わたしの母にも、このお祭りに関して苦い経験がありました。

    母がまだ小学生の頃、地元のお祭りの際に、神社で舞を奉納するための数名の巫女さん選びがありました。母の実家は上級武士の家系ですが、維新後に群馬県から信州へ移り住んだものです。そんな訳で、元から、巫女になどなれるわけはないと諦めていたそうです。

    しかし、巫女舞は綺麗な衣装をまとい、華やかな髪飾りを付けて舞をまう、少女たちにとっては憧れの晴れ舞台なのです。

    そんな時、巫女役に選ばれた母の友人の老舗旅館の娘が急病で舞の稽古が出来なくなってしまったのです。地区の役員さんたちは困惑し、急きょ母にその代役を頼みに来たのです。

    祖父は、最初は「うちの娘にそんな大役は出来ない」と、断わろうと思ったそうですが、やりたいと言う母の気持ちを汲んで、祖父も許したのだそうです。

    母は、せっかく頂いた巫女の役を恥ずかしくないように果たさねばならないと、毎晩懸命に舞の稽古に励んだのでした。が、しばらくすると、その急病の娘の病気が治り、自分が巫女に復帰したいと言い出したのです。

    役員さんたちは、相談の結果、結局母に役を諦めてもらおうということになり、母の実家へそろってお詫びに来たのでした。祖父は、「旅館さんの娘さんが復帰したいというのなら、それは仕方がない。お前は諦めろ」と、母を説得し、せっかく巫女舞を完璧にマスターしていたにもかかわらず、その旅館の娘の我がままで、母の夢はあえなく消滅してしまったのでした。

    母は、その時の悔しさを未だに鮮明に覚えています。

    お祭りとは、そういう子供たちの純粋な気持ちを、因習という観点からいとも簡単にひねりつぶしてしまう不条理をも含んでいるのです。

    以前にも、長野県のある地域で神社の社殿が放火され、お祭りの大役に選ばれなかった子供の恨みによる犯行だったことがありました。

    そして、今なお、こうした「生いつき」優先の制度は変わってはいません。

    皆さん、お祭りで綺麗な衣装をまとう子供たちを微笑ましく見物することもあるでしょう。

    しかし、そういう子供たちを見る時、ちょっと、考えてみて下さい。

    この子供たちが選ばれた陰で、何人もの多くの子供たちが悔し涙を飲んでいることを・・・・。

    田舎のお祭りとは、そういう残酷な一面をも持っているのです・・・・。



    ***   因みに、わたしの住む地域では、御柱祭の曳き綱は、地元の子供でも観光客の子供でも誰でも曳くことが出来ます。わたしも子供の頃、鉢巻き法被姿で綱を曳きました。

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<今日のおまけ>

 今日、自治体から福祉タクシーの乗車割引券交付のための申請書類が届きました。

 これは、認知症や要介護者、精神障害者、もしくは80歳以上の高齢者が通院や買い物等に出かける際に、気軽に福祉タクシーを利用してもらいたいという行政サービスの一環だそうです。

 確かに、独り暮らしの老人や自動車を運転できない人には、ありがたいサービスです。

 今、NHKで放送していた「無縁社会」の問題を考えるにつけても、高齢者の行動範囲を広くして、地域住民のコミュニケーションの活性化を図ることは、これからの超高齢化社会を生きる上で、とても大切なことだと思います。

 番組では、一ヶ月にたった二時間、ヘルパーさんとの会話しか他人と話をする機会がないと、語っていた90歳代の男性独居高齢者がいましたが、本当に驚きました。

 この福祉タクシー割引が、孤独な高齢者たちの地域とのつながりを復活させる一助となることを願いたいものです。
 

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