「損な性分」は、強欲な人 [心理の不思議 2]


「損な性分」は、強欲な人


    「損な性分ですから・・・・」とか、「不器用でして・・・・」が、口癖の人がいます。

    こういうことを言う人は、内心は、「得な性分の方がいい」「器用な人の方が得だ」と、考えているようです。

    ですから、この言葉をしゃべる人は、決して謙虚でもなんでもないのです。むしろ、「こんなにやっているのに誰も自分を認めてくれない!」「器用な人ばかり褒めるなよ」と、いうかなりのひがみ根性が内心にはあるのです。

    ですから、どんなに大変な仕事でも徹底的にこなしたり、物事を必死にやろうとするのも、「認められたい」と、いう欲求から発している物なのです。

    そのために、人の世話を真剣にやる人は、「いつも他人の世話ばかりをしていて損だ」と、考えている訳ですから、本当にその仕事を好きでやっている訳ではないのです。

    それなら、やめてしまえばいいと思うのですが、絶対にやめません。

    それは、もしも、自分がその仕事をやめてしまえば、誰も自分を評価してくれる人がいなくなってしまうと計算しているからなのです。

    「あなた、本当に頑張り屋ね。尊敬するわ」

    そんな言葉をかけてもらうことを、ひたすら望んでいる訳です。

    「あなたって、みんなの嫌がることをコツコツと真面目にやり続けてくれていて、頭が下がるわ」

    そんな反応を待っているのです。

    ですから、自分から「損な性格」と、いう人は、本当はどうすれば得な性格になれるのかも判っている場合が多く、「不器用ですから」と、いう人も、器用になるにはどうすればいいのか判っているのです。

    人間の気持ちは複雑です。

    でも、本当はやりたくないのにやらねばならないということも、事実「損な性分」なのかもしれませんね。

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<今日のおまけ>

 今日、いつものように共同浴場へ行くと、よく顔を合わせる近所の主婦が脱衣所へ入って来るなり、突然床に座り込んでしまった。

 そこに居合わせた他の主婦たちが、いったいどうしたのか?----と、驚いて、へたり込んだ主婦に訊ねると、近頃、立っているのが辛くて、何処でも座り込んでしまうのだと答えた。

 スーパーへ行っても椅子のある場所までたどり着けずに、床にへたり込むことがあるという。

 「もう、どうでもいいのよ。ちょっと歩いただけでも疲れるんだもの」

 答える主婦に、それを聞いていた一人が、そんなことばかりしていると、本当に足が弱ってしまうから、しんどくても頑張って歩かなきゃと、諫めたが、主婦は座り込んだまま動こうとしない。

 足の筋肉が衰えるのは、実に簡単である。でも、再び歩けるようになるための努力は並大抵のものではないことを、知っておくべきである。

 わたしも、ほぼ寝たきりから短い距離の散歩が出来るようになるまで、約三年かかった。

 老化は足から---と、いうが、若者、年寄りの区別なく、足は鍛えておかなくては大変なことになるのだ。

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