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glee 3 [ちょっと、一息 43]


[るんるん]glee 3



    最近、テレビではあまりクリスマス・ソングを流さなくなった。

    たまに、歌手やタレントが歌うとしても、今風のクリスマスもどき歌謡曲ばかりだ。

    正直、わたし世代にはほとんど共感出来ないし、クリスマスの雰囲気も感じられない。

    で、何処かで本格的な、これぞクリスマスといったクリスマス・ソングを歌っているような番組はないものかと思っていたら、見付けた。

    NHKで放送している学園青春ドラマ「glee 3」の中に、クリスマス気分たっぷりの場面が描かれていた。

    高校のグリー・クラブに所属しているカートとブレインの仲良しコンビ及びグリー・クラブの面々が、スポンサーから依頼されたクリスマス番組の中で、クリスマスソング・メドレーをこれでもかと歌い踊るのだ。

    パーティー・シーンは、まるで1950年代にタイムスリップしたかのように美しい。

    日本人には、逆立ちしても出せない格好良さだ。

    殊に、カートとブレインの二人が、雪山にある家の中でクリスマスに集う友人たちを待つという設定のスタジオで「Let It Snow」を歌う場面は印象的。

    海外ドラマは、演出がうまい!

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あまりの寒さに・・・ [ちょっと、一息 43]


[雪]あまりの寒さに・・・



    昼のワイドショーを観ていたら、

    「東京も明日はかなり気温が下がり、3度ぐらいになる見込み。最高気温も10度ぐらいでしょう」

    だって。

    司会者は、そんなに寒くなるんですか・・・と、心配していたが、わたしに言わせれば、何処が寒いのか?---である。

    東京では、クリスマスにも寒波の影響から、雨が雪に変わる可能性もあるそうで、

    「何十年ぶりかのホワイトクリスマスが期待出来ますね」

    とは、何ともおめでたい。

    雪に風情を感じていられるなんて、幸せな話だ。

    ドカ雪でも降って、交通網が遮断されるような事態にでもならねば、信州北部の大変さなど分かりはしないだろう。

    時々、女性タレントたちがファッション・コーデを競う番組も観るが、冬服や重ね着のイメージがこちらとはまったく違うことにも驚く。

    あんなおしゃれ重視の薄着でいたら、こちらでは間違いなく凍死だ。

    昨夜の「ザ・マンザイ」でも、司会進行を務める女性アナウンサーがノースリーブのセパレート・ドレスを着用していた。

    季節感ゼロもいいところである。

    今日は、あまりの寒さに早めに外湯へ行った。

    浴室内は、家の中の暖房節約のため、温泉で温まろうという近所の主婦たちでにぎわっていた。

    軽減税率は、極寒地域の暖房費や冬用の衣類などにも適用されるべきだな。

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ストーカーの心理 [ちょっと、一息 43]


[プレゼント]ストーカーの心理



    今日は、スーパーへ買い物に・・・。

    店内はクリスマス・ムード一色。

    でも、バブルの頃に比べれば、華やかさも縮小気味といったところか・・・。

    昔は、もっとキラキラの夢のようなグッズが所狭しと並んでいたものだが、この不景気では、クリスマス気分で浮かれている暇などないというのが世間の常識なのだろう。

    アベノミクスのかけ声も泡と消え、クリスマス・ケーキを買うお金さえもったいないとぼやく主婦がいれば、会社からはボーナスなしと宣告されたというサラリーマンも。

    観光地では外国人観光客の誘致に懸命だが、彼らもまたほとんど買い物をしない。

    店々を冷やかして歩くだけだと、店主たちは呆れる。

    「どうせ、売れやしないんだから、12月は店じまいだよ」

    と、怒り半分に嘆く女性の声も聞いた。




    ところで、先日、あるテレビ番組で、最近頻発しているストーカーによる暴力事件について取り上げていた。

    そこでは、どうして人はストーカーになり暴力をふるったり、暴言を吐いたりするようになるのか・・・と、ストーカーになった人たちの心理状態を分析していた。

    別れた妻に対して嫌がらせメールを何通も送ったり、家の前で待ち伏せたりした経験のある男性は、このままでは自分がダメになると考え、カウンセリングを受ける過程で、一つのことに気付いたという。

    それは、男である自分は、女性を支配するのが当たり前だと、無意識のうちに思い込んでいたということだそうだ。

    子供の頃、家では父親が絶対君主で、母親がいつも父親に殴られていたのを見ていた経験から、女性にはそうやって言うことを聞かせるものなのだと信じていたというのである。

    だから、自分の前から姿を消した妻に対しても、

    「おれに逆らうとは身の程知らずな女だ!」

    と、いう感情の方が先走り、ストーカー行為をエスカレートさせたのだった。

    が、カウンセリングを受けたことで、女性も自分と同じく意志を持った一人の人間で、誰からも支配される存在ではないとのことをようやく認識できたのだという。

    しかし、こうした誤った支配欲を持ちながらも、それを自覚していない人は多いそうで、支配欲を愛情だと勘違いしている男性も少なくないという。

    相手は自分ではない。

    自分ではないのだから、自分の期待が及ばないことをするのが当たり前。

    それが理解できない想像力の欠如した幼児性人間が、ストーカーになりやすいのではないかと、番組は伝えていた。

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今日の散歩は寒かった。 [ちょっと、一息 43]


[雪]今日の散歩は寒かった。



    今日は、風も冷たく散歩はためらわれたのだが、それでも思い切って外へ出た。

    道にはまだ融け切らない雪が残り、特に山伝いの道路を歩くのは滑らないようにと少々気を遣った。

    これからの時季の散歩は足元が不安だが、体力回復のためには、やはり欠かせない。

    ところで、昨日放送していたクリスマスに男性から贈られると嬉しいプレゼントは何か----という企画。

    四人の男性俳優やお笑いタレントたちが、それぞれに趣向を凝らしたプレゼントを用意して、それがどれだけ女性たちの支持を集めるかを競っていた。

    お笑いタレントの一人は、ペンダントにも、指輪にもブローチにもアレンジ可能なジュエリーをプレゼントとして用意。

    男性アイドルは、得意の料理の腕前を生かして彼女のためにパンケーキを焼き、その中にペア・アクセサリーの片方を入れておいて、彼女に見付けさせるというアイデアを披露。

    プレイボーイとしても名をはせた有名俳優は、高価なパンプスを。

    もう一人のお笑いタレントは、女性は長風呂が多いということで、入浴しながら観ることが出来る小型テレビをチョイスした。

    しかも、これらのプレゼントの中で最も女性たちの支持を集めたのが、この小型テレビだったことには、むしろ驚きだった。

    何故なら、わたしのように毎日の入浴を共同浴場でする者にとっては、一番利用価値がないと判断されるものが、この小型テレビだったからである。

    パンプスは、履き心地やサイズも人それぞれなので、選ぶのが難しいだろうし、ペア・アクセサリーは、食べ物の中に入れるというのは危険だし、不衛生。スタジオ中が首を傾げた通り、中学生レベルのプレゼントだといえる。

    中でも、アレンジ可能なジュエリーあたりが、クリスマス・プレゼントとしては無難なのではないかと思いながら観ていた。

    それにしても、バブルの頃ならばいざ知らず、今でもクリスマスに恋人同士がプレゼントのやり取りをするような習慣が若者たちの間にはあるのだろうか。

    せっかくのクリスマスなのだから、二人だけでこっそりと盛り上がるよりも、大勢でワイワイとパーティーでもした方が楽しいのではないかと思うのだが・・・。

    皆さんは、どうお考えだろうか?

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綺麗になりました。 [ちょっと、一息 43]


[ぴかぴか(新しい)]綺麗になりました。



    父親の付き添いで病院へ----。

    新築した病棟の使用が始まったというので、さっそく行ってみた。

    入口はまるでホテルの玄関のようで、開放感抜群。

    カフェテリアとパン屋さんもオープンしていて、病院とは思えない明るさ。

    併設された売店も、コンビニ並みの品ぞろえだ。

    カフェテリアでは、大勢のお客さんたちが食事をしたり、コーヒーを飲みながら、思い思いにリラックスした時間を過ごしていた。

    わたしもパン屋さんで焼き立てのデニッシュを購入。

    ふわふわでおいしい!

    通院とは関係なく、お茶だけをしに来るのもありかもしれない。

    ここで、クリスマス・コンサートなどを開くのも素敵だろうな。

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スーパーで・・・ [ちょっと、一息 43]


[家]スーパーで・・・



 スーパーでレジ待ちをしていたところ、見るからに脚の悪そうなおばあさんが会計をしてもらっていたのだが、立っていることもやっとの状態のようで、そちらに意識が集中していたらしく、つい代金を支払うことを忘れ、商品が入ったカゴを載せたカートを押しながら、近くにある買った品物を袋へ入れるためのテーブルの方へ行ってしまった。

    レジ担当スタッフの女性が慌てて、お支払いがまだですけれど・・・と、声をかけると、おばあさんは驚いた様子で、

    「あれ?まだ、お金払っていなかったっけ?脚が悪いので、ここまで取りに来てくれない?」

    と、言う。

    レジ担当スタッフが、おばあさんのところまで行って代金をもらい、何とかことは済んだと思ったのだが、わたしの会計が済んで買った食品を袋へ入れている時、そのおばあさんは、店内の棚の奥に入っている無料の段ボール箱が欲しいと、その棚の中へ潜り込んで行ってしまった。

    棚の中に座り込み、カゴから取り出した商品を段ボール箱に詰め替えたまでは良かったのだが、その場所から出ることが出来なくなってしまった。

    脚が悪いので、狭い棚の中では身動きが取れないのだ。

    先ほどのレジ担当スタッフが見かねて、

    「自分はここを離れられないので、あのお客さんに手を貸してやって!」

    と、応援のスタッフを呼んだのだが、返事はすれど誰も助けに来ない。

    他の客たちも横目で、おばあさんが居心地悪げにもぞもぞ動く様子を見ているだけで、そばへ寄って行こうとはしないので、必然的に一番近くにいたわたしが声をかけることに・・・。

    近くまで行って手を貸そうとすると、おばあさんは、

    「脚がこんなんだから、うまく立てない・・・」

    と、言いながらも、何とかかんとか棚の外へと這い出すことに成功した。

    が、そうなると今度は棚の奥に置きっ放しになった段ボール箱が持ち出せないので、わたしが運び出し、カートの上へと載せて、

    「これで大丈夫ですか?」

    と、確認しているところへ、レジ担当の女性が駆け寄って来て、ありがとうございますと、礼を言ってくれた。

    だが、おばあさんの頭の中は、とにかく自分のことだけで一杯。

    やっとの思いでカートにしがみつくなり、自前の杖を拾うと、あとは無言のままカートを押して歩み去って行ってしまった。

    一人暮らしなのか、おばあさんには付き添いらしき人が誰もいなかった。

    しかも、あの買い物の品が入った重い段ボール箱をどうやって家まで持ち帰るつもりなのだろうか?

    スーパーまでは車ででも来たのだろうか?

    色々想像を巡らせてしまう出来事であった。

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思い出話は自己満足にならないように [ちょっと、一息 43]


[家]思い出話は自己満足にならないように



    高齢者と話をしていると、時々、今の話題をあえて避けて、過去の思い出話ばかりを延々と続ける人がいる。

    思い出話をすることは、認知症予防などにも効果的だといわれてはいるが、それにも話し方というものがあるらしい。

    思い出話は、自分にとってごく身近な話題であるだけに、聞いている相手の理解度を無視して話してしまう場合が多いものだ。

    主語が抜けてしまったり、その場の情景描写がおざなりになるなど、何の予備知識もない聞き手にとってはチンプンカンプンという内容になってしまい兼ねない。

    だからといって、何度も「それは誰のこと?」とか、「そこは、さっき話した場所なの?」などと、いちいち話の腰を折るように質問されたのでは、話す方の高齢者も面倒くさくてかなわないだろう。

    思い出話をする時は、聞き手のことを思いやり、出来るだけ自己満足のためだけの話し方にならないように気を付けたいものである。

    また、思い出話のような過去を振り返る話題は、何度も同じ内容の繰り返しにもなりやすいので、聞き手にとっては、「それ、もう何度も聞いたけれど・・・」と、苦痛になることも・・・。

    やはり、今現在起きている事柄を話題にして会話をすることが、精神的な若さを保つ秘訣ではなかろうかと考える。

    高齢になると、最近の記憶はあいまいになるが、昔の記憶は鮮明に思い出せるので、どうしても過去の話をする方が楽なのだと思う。

    しかも、若き日の業績や地位に固執するあまり、自分の現在を肯定できないという悲観的考え方も根底にはあるのかもしれない。

    ならば、せめて思い出話をする際は、聞き手が理解しやすいように丁寧な説明を心がけて欲しいものである。

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流行語大賞 [ちょっと、一息 43]


[時計]流行語大賞



    その年話題となった新語・流行語を決定する年末恒例の『2013 ユーキャン新語・流行語大賞』(現代用語の基礎知識選)が2日発表され、予備校講師・林修氏の「今でしょ!」、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』の「じぇじぇじぇ」、TBS系連続ドラマ『半沢直樹』の「倍返し」、東京五輪招致のプレゼンテーションで滝川クリステルが日本をPRする際に使用した「お・も・て・な・し」が年間大賞に選ばれた。1984年に創設され、今年30回を迎える同賞において、史上最多となる4つの“言葉”が大賞に選ばれた。(YAHOO!ニュース)



    どれも甲乙つけがたしというところなのだろうな。

    確かに、今年は、言われてみれば良く耳にしたという言葉が多かった。

    ただ、「倍返し」に関しては、何故か使われ方が、本来とは逆の意味になっているように思うのだが・・・。

    普通は、報復や復讐の意味で使う言葉なのに----半沢でも、そうした意味合いで使われていたのではないかと思うのだが、いつの間にか喜ばしいことや善意を表わす言葉にすり替わってしまっているような気がして、やや釈然としない。

    幸せの倍返し----なんて、奇妙な感じである。

    まあ、世の中があまりパッとしないせいか、流行語についてはその分、あえて元気の出るような言葉が好まれて来たのではないかと推察される。

    それにしても、毎年毎年、よく流行語が生まれるものだ。

    いったい、誰が流行らすのだろう。

    因みに、わたし個人としての今年の流行語は、「どつぼ」である。[ふらふら]




    
    ところで、町内にもう一施設、新たな内科医院が開業した。

    近所の主婦は、

    「車もなく、脚の悪いお年寄りたちなどにしてみれば、近くにお医者さまがいるというのは、本当に心強い」

    と、喜んでいた。

    お年寄りだけではなく、小さな子供さんを抱えた母親たちにしても安心感が大きいだろう。

    実は、かつて、わたしの住む町には何軒もの医院や診療所があった。

    それがいつしか一施設だけになってしまったのだが、近頃になってこれまで休診状態が長かった一施設が再び診療を始め、ついで、ここに来てもう一施設が開業したことで、遠くまで足を運ぶしかなかった人たちもかなり助かるに違いない。

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最近、はまっているもの [ちょっと、一息 43]


[TV]最近、はまっているもの



    最近、はまっているもの----近所にある自動販売機で売られている紅茶オレ。

    紅茶とミルクの合わせ加減が絶妙で、熱々を飲むとホッとする。

    缶コーヒーよりも少し多めの量というところも、気に入っている。

    しかも、値段が100円ポッキリ。

    とても、お得感があるので、そばを通るとつい買ってしまう。



    で、街には、クリスマスのイルミネーションが輝き始めた。

    しかし、不景気の波は、まだまだ収まる気配がない。

    こんな世間の沈鬱ムードの中、長野県内にとんでもなく稼ぐ村があると、ある報道番組が伝えていた。

    川上村。

    レタス栽培が主力産業という、人口4000人の農村である。

    標高は、約1200メートル。

    米も実らない寒村で、戦前は県内でも特に貧しい地域だったそうだが、戦後、アメリカの進駐軍がレタスを欲しがったことをきっかけに、村が率先して農家にレタス栽培を奨励。

    これが寒暖差の激しい村の気候とマッチして、良質のレタスが採れることが判り、今ではほとんどのレタス農家が年収1000万円~5000万円を稼ぎ出すという。

    全国から買い付けに来る業者曰く、

    「他の地域のレタスと鮮度がまったく違う。少し値段が高めでも、やはりここのレタスにかなうものはない」

    とのこと。

    レタスのブランド化が確立している証拠だそうである。

    そんな理由もあり、農村地域といえども川上村は嫁不足とは無縁だそうで、農家の若者の後継率も高く、農作業中の男性たちの手首には高級腕時計が光っていた。

    長野県内には、ものすごい村が存在していることを初めて知り、驚くとともに何とも羨ましい限りであった。

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散歩の時は---- [ちょっと、一息 43]


[喫茶店]散歩の時は----



    散歩をする時は、すれ違う近所の人たちと必ず一言二言、言葉を交わすように心がけている。

    日に他人と話をすることが一度もない----と、いうような高齢者も多いと聞く。

    特に、一人暮らしの人などは、そうした傾向が大だそうだ。

    人間は、一日のたった一分でも自分以外の人と話をしたという時間がもてれば、それだけで気分が前向きになれるものだ。

    社会と関われたという気持ちは、その日を無駄に過ごしたわけではないという自信や納得にもつながる。

    これから冬に向かい、ますます寒くなると、ただでさえ外へ出るのが億劫になる。

    身体の弱い高齢者などは、さらに会話が減り、気分も落ち込みがちになるだろう。

    あるテレビ番組で、定年退職をした男性が自宅でそば屋を開いたところ、近所に住む同級生たちが手伝いにやって来るようになり、店が格好の集いの場になっているという話題を取り上げていた。

    何とも、うらやましい話であった。

    わたしが住む地域には、近所の人たちが世間話をするために気軽に入れるような場所がほとんどない。

    以前は、おばあさんたちの井戸端会議場所ともなっていたスーパーが閉店してからは、ご近所の情報もあまり入らなくなってしまった。

    先日、散歩の途中で、前は保育園として使われ、今は高齢者の福祉施設として利用されている建物のそばを通ったのだが、ちょうどスタッフの方がいたので、前から気になっていたことを思い切って訊ねてみた。

    「ここにカフェと書かれた看板が出ているんですけれど、一般の人も入ることが出来るんですか?」

    すると、もちろんです----との答えだった。

    「食べ物は提供していないんですが、飲み物でしたら色々と用意していますので、ぜひ、ご利用ください」

    皆知らないだけで、集いの場所は、案外身近なところにもあったのだ。

    時間が出来たら、今度ゆっくり立ち寄ってみようと思う。

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