あなたにとって必要な人とは? [心理の不思議 14]


[ダイヤ]あなたにとって必要な人とは?



    人は不安に襲われると、その不安を和らげようとするために、無意識のうちに一人でいるよりも何人かの仲間といることの方を選択するようである。

    「もうすぐ世界が終わる」

    などという予言が世の中にまことしやかに広まると、新興宗教などの集団があちこちに誕生し始めるのも、おそらくはそうした理由に関係しているのだと思われる。

    つまり、そこに集まる者たちの中に生まれた「不安感」という共通点が、ある種の団結意識をもたらすものなのだそうだ。

    人が人を必要とする時、その接着剤の役割として「共通意識」が不可欠なのである。

    どんなに近くに人がいても、その人が自分とはかけ離れた境遇や目標、趣味などを持っている場合は、そこに「必要感」は生まれ得ないものなのだという。

    ところが、その「必要感」をより大きなものとして認識する場合は、そこにもう一つの条件が加わる。

    それは、仲間になる相手が自分とは同じ境遇、同じ目標を持つだけではなく、その目標をクリアするために、自分とはまったく異なる発想をする人物である----と、いう条件なのだとか。

    相手が自分と同じ発想しか出来ない人物ならば、自分にとってそれは確かに仲間ではあっても頼れる存在とは言い難い。

    だが、同じ目標を持ちつつも、自分が考えもつかない発想で難局を切り抜けることが出来る人物ならば、それほど心強い仲間はいない。

    要は、人が人を必要とする時、相手に望むことは「自分と目標が同じで共通意識を持つ、発想の差が大きい人物」と、いうことになるようだ。

    男女の場合は、この感覚が恋愛感情に発展することも少なくないという。

    「共通感覚の中の意外性」に、人は惹かれるのかもしれない。

    言われてみれば、あまりにも人生の価値観が異なる相手同士は、どれほど努力してもお互いに共感すら出来ないものである。

    かつての日本では、子供の結婚は互いの親同士がすべておぜん立てを整え、たとえ結婚が決まってもその相手とは婚礼の席に臨むまで顔を知らないということが習慣としてあった。

    しかし、そんなカップルでも末長く夫婦として暮すことが出来たのは、元々夫婦の育った境遇や価値観がそれなりに似通っていたためという理屈も成り立つだろう。

    もしも、あなたが夫、または妻に倦怠を感じ始めているのだとしたら、二人の間に共通点が見出せなくなってしまったせいか、もしくはその真逆で、お互いを知り過ぎてしまい意外性を見付けられなくなっているせいなのかもしれない。

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