散歩コースを替えてみた [ちょっと、一息 2]


[サッカー]散歩コースを替えてみた



    いつでもいつでも同じコースばかりを散歩するのは飽きて来るので、ここに来て歩く道を少し替えてみました。

    すると、これまで知らなかった住宅地の景色などが見えて来て、まるで違う街を歩いている感覚になります。

    通り一本違うだけで、風景の見え方というものはこうも変わるものなんですね。

    本当に新鮮な気持ちで散歩が出来て、何か不思議な感じさえしています。

    時々、共同浴場で顔を合わせる人が、何処から来ているのかなんて、あまり考えもしなかったのですが、その人の名前の表札をある家の玄関先に見付けた時は、ちょっとした発見をしたようで、嬉しい気持ちになりました。

    そして、この道は、何処へ通じているのか・・・と、思いながら進んで行った時、知っている場所へ出たりなどすると、無性に誰かに話したくなります。

    こんな感覚は、小学生の頃にもありました。

    二年生になったばかりの頃、とんでもない場所にある古い薄暗い階段を上り、廊下を行くと、二股に分かれた階段があり、その一方の階段を下ったところ、何と、自分の教室の前に出た時は、迷路のような校舎内が魔法の建物のように思えたものです。

    わたしのように、あまり遠出が出来ない人間は、ほとんど近所を散歩することが日課ですが、そんな近くにもまだまだ知らない場所や道がたくさんあるものですね。

    こんな風に考えると、人間の一生なんて、ほとんど何も知らないままに過ぎているのかもしれないなァ・・・と、思います。

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<今日のおまけ>



    放射性物質で汚染された土地でも、絶対に離れたくないという人たちがいる。

    避難勧告区域に指定されても、自分や家族の身が危険だと判っていても移動したくないというのだ。

    もう、避難所生活は我慢がならないと、大津波で何もかも流された場所へ、行政の目をかいくぐってバラックを建て、家族で住み始めてしまった人もいる。

    自宅のある土地を離れるくらいなら死んだ方がましだと思い詰め、家族の足手まといになることを嫌い、自殺してしまった102歳の男性もいたそうだ。

    東北地方の人たちの住み慣れた土地に寄せる思いは、どうしてここまで深いのだろうか?

    危険な場所には二度と住みたくないはずだという、先入観を持っていた民主党議員たちは、その大きな誤算に戸惑っている。

    民主党の若い議員たちの論理的かつ合理的なドライ思考と、被災地に住むお年寄りたちの割り切れない思いの溝を、埋める術は果たしてあるのだろうか?


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