素朴な疑問 [日々の雑感 15]
素朴な疑問
阪神淡路大震災の時は、あまり感じなかったのだが----いや、むしろ、素晴らしいことだとさえ思っていた。
ボランティアの炊き出し隊である。
自前の調理器具を積んだ自動車で、被災地を回り、レストランで食べるような食事を提供する。
大きな避難所では、おそらく1000食以上は作ることになるのだろう。
それも無料でとなれば、提供者の赤字も大変な額にのぼる。
そういう炊き出しボランティアの人たちが訪れることが出来た避難所暮らしをしている被災者の方々は、本当に、おいしそうに食べていた。
「温かい食べ物がいただけて、本当にありがたい」
そんな言葉もたくさん聞かれた。
今回の東北関東大震災でも、被災した各地の比較的大きな避難所には、こうした炊き出し隊が何組も入ったそうだ。
しかし、そんなテレビニュースを観ていた母親が、ポツリと言った。
「でも、この人たちが食事をふるまうのは、今回だけなんでしょ?明日も、明後日も来てくれるわけじゃないんでしょ。一日だけ無料で食べさせてもらったって、この先ずっと無料ってわけじゃないんなら、意味ないじゃない」
確かに、そういうことなのかもしれない。
人間の生活は、これからも延々と続くのだ。
一日だけの親切など、実は、本当に困っている人たちにはむしろ迷惑なことなのかもしれないのだ。
家財道具もお金も一切合切流されてしまった人たちに、たった一日だけ楽しい思いやおいしい思いを提供しても、そんなものは提供する側の自己満足に過ぎないのかもしれない。
もしも、本気で被災者の食事の面倒をみる気があるのなら、これから一年、二年の長いスパンで食事の無料提供を続ける覚悟が必要なのだと思う。
そして、それも大きな避難所ばかりではなく、未だ行政の手も入ることのできない孤立地域の被災者にまでも、まんべんなく届ける態勢が必要なのだ。
人間は、皆が一様に同じ困難に直面している時は、かなりのことでも辛抱出来る。
しかし、一方はレストラン並みの食事を食べているのに、一方はそんなものは見たくてもないという不均等が起きた時、我慢も限界を超えるのだ。
炊き出しボランティアは、もちろん避難所には必要なことだろうが、やるならば、その場限りのイベントで終わらないようにして欲しいものである。
<今日のおまけ>
ロシアの戦闘機が、日本上空の放射性物質の塵を回収していたそうですね。
日本の大変な時期に乗じて、領空侵犯めいたことをするとは、実に無節操だと思います。
本当の支援とは、同じ痛みを共有するというもののはずですが、彼らには、その覚悟がないようです。
そうなると、この大震災の直後に救援隊を送りこもうとした誠意すら、実は、日本国内の状況を偵察するための策略だったのかと、疑いたくなります。
こういう一大事にこそ、各国の本当の腹のうちが判るというものですね。