歴史に学ぶこと [日々の雑感 15]


[本]歴史に学ぶこと



    ヤフー知恵袋の回答に、考えさせられる投稿があった。

    「東日本大震災で親を亡くした子供たちの将来が案じられてならない」との質問に対しての答えなのだが、江戸時代に起きた火山の噴火によって親を亡くした子供たちがどのようにして育ったかということを教えているのである。

    天明三年(1783年)七月八日に、浅間山が大噴火し、流れ出した火砕流や溶岩流が火口から約13キロメートル離れた村に壊滅的な被害をもたらした。

    家族バラバラになりながらも、村人たちは必死に高台にある鎌原観音堂へと逃げたのだが、溶岩流は観音堂の石段を上15段残したのみですべて飲み込み、その石段を上れなかった大勢の人々が亡くなるという大惨事を引き起こしたのだった。

    その後、かろうじて生き残ることが出来た村人たちは、当時の役人たちにより強制的に新しい家族を構成させられることとなり、孤児となった子供たちは生き残った大人たちが我が子として育てることで、再び村を復興させたのだそうである。

    もちろん、今の時代、親を亡くした子供たちを強制的に他人である大人に育てろということなど出来るものではない。

    しかし、そうした子供たちのために日本中、いや世界中の大人が各々いくばくかの義援金を寄せることで、勉強や食事に不自由しないだけの暮らしを確保してあげることは出来ると、その回答者は言うのである。

    お金が親の代わりになるわけもないが、それでも親を亡くすという大きな悲劇を背負った子供たちが安心して生きて行けるだけの保障をするのは、行政の責任であると思う。

    千年に一度の大災害も、そこから立ち上がるための教訓は、やはり、我々の過去の歴史の中に必ずあるのではないかと感じた一文であった。

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<今日のおまけ>


    大震災も二週間が経過して、単に数字の上の犠牲者ではなく、一人一人人間の死としての意味が、メディアによって掘り起こされるようになってきた。

    これからは、ある意味、第二の心理的震災が起きるようになる。

    テレビや新聞などの報道機関は、単なるお涙ちょうだいの安易な切り取り方はせず、国民が前を向いて復興に臨むことが出来るきっかけとなるような情報発信を心がけるべきであろうと考える。

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