無賃乗車(後) [不思議な話 3]


無 賃 乗 車(後)




    「そんなことがあったんですか・・・」

    小山内弓子は、小暮主任の話を聞いて、何も知らずに老人を責めてしまった自分を恥じた。

    「それで、会社は、その申し出を受けたんですね」

    「そういうことだよ。だから、あのおじいさんは、何処へ行くにも、うちの会社のバスを使う限りタダなんだ。だから、きみも、そのことは承知しておいてくれ」

    小暮は、そう言って、営業所をあとにした。




    その後も、弓子が運転する定期路線バスには、毎日、その老人が乗ってきた。

    仏頂面で、弓子を一睨みすると、黙ってバスから降りて行く。しかし、やはり、いつもの如く無賃乗車である。

    そんな日々が三ヵ月も続いた頃だろうか。ある時を境に、その老人の姿がぱったりと見えなくなってしまった。いつもの時刻、いつもの小学校前の停留所にも、老人の姿はない。

    弓子は、いつも顔を合わせていた老人がバスに乗らなくなったことに、一抹の寂しさのような落胆にも似た感情を懐いている自分に気付いていた。

    「おじいさん、どうしたのかしら?最近、顔をみないけれど、身体でもこわしたのかな?」

    最初は、気難しい頑固じいさんを絵にかいたような嫌な老人だと思っていたのだが、姿が見えなくなってしまうと、何となく心配にもなって来る。

    そして、季節が早くも初冬を迎え、街に木枯らしが吹く、ある寒い夜のこと、小学校の前の停留所から、久しぶりにその老人がバスに乗り込んで来たのであった。

    (おじいさん、元気だったんだ。よかった----)

    弓子は、ホッと胸をなでおろした。バスがやがて、いつものように終点の駅前に到着すると、他の乗客たちがすべて降車したあとから、老人も杖をつきながら、ゆっくりとした足取りで、弓子のそばへとやってきた。

    ところが、その時、老人は珍しく彼女の方へ笑顔を向け、こう言ったのである。

    「おれの孫も、生きていれば、あんたぐらいの年になっているんだよな・・・。でも、もう、今日で無賃乗車は、終わりだよ」

    「え?どうして----?」

    思わず、弓子が急き込むように訊ねると、老人は、さらに嬉しそうに目を細める。

    「その孫が、迎えに来てくれたからねェ・・・」

    そう言って、バスの降車口の方を見やるので、弓子も、そちらへ目を向ける。と、タラップの先に、ちょうど小学校一年生ぐらいの小さなおかっぱ頭の女の子が、赤いランドセルを背負って立っているのが見えた。

    老人は、弓子にそっとお辞儀をし、バスを降りる。そして、その小さな女の子と手をつなぐと、静かに闇の向こうへと歩み去って行ったのであった。

    弓子は、何となく温かな気持ちを胸に、営業所の事務室へと入る。

    彼女は、老人が無賃乗車を今日でおしまいにすると、話したことを、小暮主任に伝えようと彼のデスクの方へ近付いた。

    「主任、実は、今しがた・・・」

    しかし、その言葉を小暮の方が遮った。

    「小山内君、さっき、本社の方に家族から連絡があったそうなんだが、あの無賃乗車のおじいさん、今朝、病院で亡くなったんだってさ。しばらく入院していたんだけれど、ダメだったそうだよ。これまで長い間、義父(ちち)がお世話になりましたって、お嫁さんが電話をして来られたんだそうだ」

    これを聞いた弓子の顔から、たちまち血の気が失せた。

    「そんなこと・・・・・。だって、主任、あたし、今、そのおじいさんをバスに乗せて、ここまで運んで来たんですよ。赤いランドセルの女の子がお迎えに来ていて・・・」 

    「女の子って、まさか、おかっぱ頭の子供か・・・?」

    小暮は、身を乗り出して訊く。弓子が、そうですと答えると、

    「交通事故で亡くなったのは、その女の子だよ」

    小暮は、ふうと、一つ長歎息をつき、こう呟いた。

    「おじいさん、やっと、孫娘と一緒にうちへ帰ることが出来たんだな・・・」




おわり




    <この物語はフィクションであり、登場する人物名は、架空のものです>

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