キャンプ場の少女 [不思議な話 2]


キャンプ場の少女


   
    ぼくは、見城卓也(けんじょうたくや・仮名)。中学二年生。

    これは、去年の夏休みに、ぼくたち家族が体験した奇妙な出来事です。



    

    去年の夏休み、ぼくは、父、母、そして小学三年生の妹の舞子(まいこ)と一緒に、長野県のある山のキャンプ場で、一泊二日のキャンプ旅行を楽しむことになった。

    父の運転する自家用車で、そのキャンプ場へ向かったぼくたちは、約二時間で林に囲まれているその場所へ到着すると、すぐにテントの設営にかかった。すぐそばには、川も流れている。

    アウトドアのレジャーに慣れている父は、見る間にドーム型のレジャー用のテントを張り終えると、ぼくと舞子に、夕食用の魚を釣りに行くぞと声をかけ、ぼくたちは、昼食の用意をする母をテントに残して、三人で目の前に流れる大きな川の上流へと歩いて行った。

    上流へ向かうにつれて、川幅はやや狭くなったものの、大きな岩があちらこちらに突出した、如何にも渓流といった様子の場所が現われ、ぼくたちは、足場を確かめながら、父の指導に従って、初めての川釣りを体験したのだった。

    一時間ほど釣りを楽しむと、ちょうどイワナとヤマメが二匹ずつ獲れたので、この辺で帰ろうと、父が声をかけた時だった。突然、舞子が、川の上流を指さし、

    「お兄ちゃん、お人形が流れて来るよ」

    と、叫んだ。見ると、そこには、小ぶりの抱き人形が一体、流れの中を滑り降りて来ると、ちょうど、ぼくたちの目の前の岩場に引っ掛かるようにして止まったのだった。舞子は、すぐさま、その人形の方へ駆け寄ると、冷たい水の中からその人形を拾い上げる。見ると、それは、赤い着物を着たおかっぱ頭の市松人形だった。

    舞子は、その人形の滴を丁寧にタオルで拭うと、とても大事そうに抱えて、

    「可哀そうに、一人ぼっちなんだね。一緒に帰ろう」

    と、言い、ぼくたちは、元来た道をキャンプ場まで戻って行った。

    山の日暮は早い。

    キャンプ場には、ぼくたちの他にも家族づれが何組かいたので、母と一緒に作った夕食をすませると、そんな隣のテントの家族同士で少しの時間世間話をしたあと、お互い早々にテントへ戻り、床についた。

    真夜中、テントの中に聞こえるのは、近くを流れる川の音ばかりである。

    ぼくは、身体は疲れているのに、何故かあまり眠くならず、すぐそばに寝ている妹の顔を、暗がりの中でぼんやりと見ていた。舞子は、昼間、川の上流で拾ったあの市松人形を、大事そうに傍らに置いて寝息を立てている。

    すると、いつしか、川の流れの音に混じって、岸辺の砂利を踏んで人が歩くような音が、かすかに聞こえて来た。その足音は、大人の物よりも軽い感じがして、歩幅も小さく、ザクッ、ザクッと、ゆっくりとぼくたちのテントの方へ近づいてくるようだった。

    ぼくは、テントの外を子供が歩いているのだと思い、たぶん、隣のテントの家族の子供だと自分に納得させて、眠ろうと目をつむったが、その足音は、次第にはっきりと耳元で聞こえるようになり、ぼくたちのいるテントの周りを、回り始めたのだった。

    ザクッ、ザクッ、ザクッ・・・。

    ぼくは、だんだん怖くなって、身体を固くしていると、その足音は、ちょうど、ぼくの枕もとあたりで、ピタリと止まった。そして、その子供と思われる人影は、外の月明かりでシルエットとなって、テントの生地に映る。と、次の瞬間、

    「・・・返してくれない?そこにあるんでしょう、お人形」

    まだ、幼い女の子の声だった。ぼくは、ますます恐ろしくなって、必死で声を殺していると、その女の子は、また、

    「ねえ、あたしのお人形、返してちょうだいよ・・・」

    ぼくは、その子が、妹の拾った人形のことを言っているのだと思い、舞子のそばからその市松人形をそっと取り上げると、勇気を振り絞って、テントの入口を恐る恐る開いた。

    そこには、真っ白な蝋人形のような顔色をした髪の長い五歳ぐらいの女の子が立っていた。

    しかし、その女の子は、身体中が何故かびしょぬれで、長い髪の毛の先からは、ポタポタ滴が落ちていた。

    ぼくは、テントの中から、その女の子に向かって市松人形を差し出すと、

    「これだろ、きみが探している人形は?持って行けよ」

    そう言った。その女の子は、色の失せた唇で、とても嬉しそうに微笑むと、

    「ありがとう・・・」

    と、言って、その人形を手に取り、愛おしそうにそれを抱き締めると、再び、砂利石を踏みながら、ゆっりと、闇の中へ消えて行ってしまった。

    翌朝、ぼくは、父と母にその話をしたが、二人とも、「そんな馬鹿なことが・・・」と、笑って取り合ってくれなかった。ただ、舞子だけは、お気に入りだった人形がなくなっていることに腹を立て、ぼくを責めたので、ぼくは、落とし主が探しに来たから返してやったんだと、説明して、何とか納得させた。

    それにしても、あの女の子は、いったい誰だったのだろうと、ぼくの中には疑問が残ったままだったが、帰りの道すがら立ち寄ったドライブインで読んだ新聞で、こんな記事が、ぼくの目にとまった。

    『昨日、キャンプ場よりも山寄りの〇〇地区で、母親と共に里帰りしていた保育園児の女の子が、人形を持ったまま川へ遊びに行ったきり帰らず、近所の人たちが捜索に出た結果、足を滑らせて、川の浅瀬で溺死しているのが発見された』


    きっと、昨夜の女の子は、この保育園児の少女だったに違いないと、ぼくは確信した。

    自分が無くした人形のことが忘れられずに、探しに来たのに違いないと----。

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<今日のおまけ>

    血液型O型の人は、人のために何かをしてやりたいと思う献身的な気持ちが旺盛だと思われがちですが、それは表向きの姿。

    O型は、単に自分がそうすることを楽しんでいるだけなので、自分自身が心から相手のことを思っている訳ではないのです。どうも、ここを勘違いしている人が多いので、要は、自己満足的お節介の塊だと考えてもらえればよいかと思います。

    だから、根本的なところは実に打算的で、冷静で、ロマンティックとは程遠い性格の持ち主が大半。

    しかも、病院など弱者が多い場所へ行くと、まるで自分が救世主になったような錯覚を起こし、有頂天にふるまう人もいる訳で、医師や看護師たちからは、もっともウザいと思われる人種なのです。

    しかし、当人は、そのことにまったく気付かない。

    実は、わたし自身がO型ですが、わたしはそのことを自覚しているので、病院では人格を患者オンリーモードに変換します。

    だって、本当に命にもかかわる病気になれば、何はさておき自分のことで精一杯ですから・・・。

    現実とは、そういうものなのですよ。

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