うなずきは賛同にあらず [心理の不思議 3]


うなずきは賛同にあらず


    以前、鳩山前総理と亀井前郵政担当大臣の間で、郵便貯金の預入限度額を1000万円上乗せするという問題で、意見の相違があり、正に泥仕合バトルが繰り広げられてことがありました。

    亀井前大臣は、この問題を鳩山前総理に話した時に、総理の承諾を得たといっていましたが、鳩山前総理は、承諾したことはないと突き放し、結局、どちらの言い分が本当だったのか、最後まで決着が付きませんでした。

    こういうことは、特別政治の世界だけに起きる問題ではありません。

    普段の生活においても、いいと言った、言っていない、というような水掛け論は、何処にでも転がっているものです。

    おそらく、この亀井前大臣にしても、本当に鳩山前総理が承諾してくれたと思ったからこそ、公然と記者発表したはずなのです。

    では、どうしてこんなことが起きてしまうのでしょうか?

    それは、つまり、一口に承諾といっても、それには五通りのパターンが存在するからなのです。

    1 )  「わたしは、あなたの意見に賛成ですし、支持します」という、全面的賛同。

    2 )  「わたしも、あなたの意見に賛成します」という、単なる同意。

    3 )  「まあ、色々ありますが、ここはあなたに従います」という、受け入れ。

    4 )  「話の内容は、わかりました」という、単なる理解。

    5 )  「話は聞きました」という、事実の伝達。

    この五つのパターンを理解しないで話を進めると、この亀井大臣のような(おそらくは)誤解を生むことになってしまうのだそうです。

    亀井前大臣は、「鳩山総理は、自分の考えに理解を示してくれた」と、語っていることからも、鳩山前総理は亀井前大臣の話を聞いたうえで、「あなたの言いたいことは判りました」と、答えたのだと思うのです。

    しかし、これは単に「言いたいことの内容は判った」と、言っているだけで、決して、「それにはわたしも賛成です。どうぞおやりください」と、言った訳ではないのです。

    ですから、鳩山前総理としては、「承諾などしなかった」と、反論したのです。ところが、この承諾の認識が亀井大臣と鳩山総理とでは異なった基準を持っていたがために、亀井大臣は、総理の「判った」という一言を、「承諾」と、受け取ってしまったという訳です。

    これをテレビで見た時、わたしは、ここにこそ民主党と自民党の政治家の言葉の持つ意味の違いが現われたと思いました。自民党に長くいた亀井大臣にとって、「判った」は、いわゆるGOサインなのです。しかし、民主党の常識は、「判った」はあくまで「理解」であり、「賛同」や「承諾」ではないのです。

    政治用語に、「前向きに検討する」と、いうものがありますが、これは「やりません」と、同意語だといいますし、「遺憾に思います」も、「残念」という意味はあっても、決して「すみません」の意味ではないのです。

    また、似たような言葉に、「不具合」というものもありますが、これも、単に動き方が悪くなっただけであり「故障」ではないのだそうです。

    こう見ると、日本語は実に複雑で使い方や認識を誤ると、とんでもない誤解を招くことになりかねません。

    ですから、鳩山前総理もこの場合は、亀井前大臣にはっきりと、「あなたの話は判りました。でも、やらないでくださいね」と、伝えるべきだったのだと思うのです。

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