栄村大震災から一年 [ちょっと、一息 11]


[アート]栄村大震災から一年


    栄村に大地震が襲って一年が経ちました。

    この県北部地震については、わたしも昨年暮れ発行の長野市民新聞に書かせて頂きましたが、この地震による復興が難しいのは、村が超高齢社会であるという現実と、11月の終わり頃から4月にかけて豪雪に覆われ、村住建設などの復興工事を行なう期間が実に短いというところにあるのです。

    テレビのニュース特集では娘夫婦を頼って松本市へ移り住んだ夫婦は、それでも栄村へ帰りたいと涙ぐんでいました。

    「松本で友だちを作って楽しく暮らしたいと思ったが、やはり、無理だ」

    と、夫婦は言います。

    それも当然だと思います。

    栄村の友だち付き合いというのは、親戚付き合い以上のものなのですから。

    あるところまでは付き合うが、ここから先はダメというような限定的な友人付き合いを想定している松本市民とは、相容れないことも多いでしょう。

    家のドアに鍵をかけないという習慣さえある栄村ですから、下駄ばきヘルパーという全国的にも類を見ない住民協力介護制度が成り立っているのです。

    しかし、今やこの下駄ばきヘルパー制度も、震災による高齢者の離散により存続が危ぶまれているそうです。

    絵手紙で住民の気持ちがつながっていることでも有名な栄村ですが、そうした若い人たちの復興への取り組みと高齢者の復興への期待が噛み合っていないようにも思えます。

     マスコミなどで安易にもてはやされている表向きや小手先の栄村エールではなく、もっと住民の現実に則した地に足のついた生活環境の整備が急がれるのではないでしょうか。


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<今日のおまけ>

    何かのテレビコマーシャルに、「もてなしとは相手をリスペクトすること」という台詞がある。

    実に、その通りだと思う。

    客よりも自分の方が立派だとか、偉いとか思っているホテルや旅館経営者が実に多い。

    そういう気持ちはどんなに隠しても、つい言葉や顔に出るものなのだ。

    「やってさしあげる」とか「表へお出しする」とか、こういう言葉も一見へりくだっているようで、不遜感が丸見えである。

    「させて頂く」「表へ出て頂く」というのが本来のリスペクトであろう。

    スポーツ選手の中にも、「自分のプレーを見せてやる」というような言い方を平気でする者がいるが、「お見せする」「ご覧いただく」という方が断然、観客をリスペクトしている言い方だと思う。

    客に対する尊敬の気持ちが伴わない「もてなし」を、どれほどバカ丁寧にされても迷惑なだけである。

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