リアルタイム [ちょっと、一息 10]
リアルタイム
向こうのブログサイトに、実の父親と夫をたった数ヶ月の間に相次いでがんで亡くした女性が、二人の闘病から死に至るまでの状況を、毎日、克明に記録し続けたブログがある。
介護だけでも大変な苦労だと思うのだが、いつブログを書く時間があるのかと不思議に思いながらも、時々読ませてもらっていた。
その文章も一切乱れることなく冷静に書きこまれていて、驚くべき胆力としか言いようがない。
もちろん、彼女は、医療関係者でもなんでもなく、ごく普通の一般家庭の主婦であるらしい。
もしも、実父や夫の闘病記録を残したいのであれば、わざわざブログという形態を用いなくとも、普通の誰にも見られることのない手書きの日記で良かったはずなのだ。
しかし、彼女は、ブログにそれを記し続けた。
ブログとなれば、特に足あとをつけた読者は読み逃げも出来ず、必然的に彼女の苦悩をねぎらうようなコメントを書き込む人も多い。
そのコメントに対しても、彼女は律義にすべて返事を返しているのだ。
それだけではなく、他のブロガーが病気で入院しているという記事を見れば、そこへしっかりとコメントも残している。
あの客観的思考は、何処から来るのだろう?
奇しくも、今日の記事に、彼女は、「実母の死に涙も見せない薄情な娘だね」と、かつて親戚から言われたこともあるとも書いていた。
気丈にふるまってはいても、内心はかなりのショックで動揺しっぱなし----と、書いてもいるが、もしも、わたしが彼女の立場ならば、ブログを書くこと自体出来なくなるのではないかと考える。
そう、そんな気持ちになれないのが通常なのではないだろうか?
このあくまで自然体に見える彼女の客観的文章には、何処かしら快感にも似た満足感すら感じられるのだ。
「代理によるミュンヒハウゼン症候群」という精神疾患が、とかくそうした症状を呈すると聞いたこともある。
子供を無理やり病気にして看病することで、「偉い母親だ」と、周囲から褒められることに幸福感を覚えるというものだ。
周囲に褒められることで何とか均衡を保っていられた精神状態が、その支えを失った時どうなるのか?
冷静に見える心理ほど、実は危ういということにならねばいいが・・・と、ふと感じた次第である。
<今日のおまけ>
ここのところ、何かとバタバタしていて忙しい。
体力があまりないので、休み休みで行動するので、ますます時間が足りなくなる。
浅田真央選手のお母さんが亡くなるというニュースにも驚いたが、北海道の離島・天売(てうり)島の診療所で10年近く単身赴任で島民の医療に携わってきた、ただ一人の医師が末期のがんを患い、療養のため島を離れなくてはならなくなったという、ニュースも衝撃的だった。
医師は、相原正彦さん(56)。
神奈川県内の私立病院の副院長をやめて2002年10月に島へ来てからは、日に50人もの患者と向き合い、4、5年前に体調を崩しながらも、がんと判明する今年11月まで診療を続けたのだという。
島民たちは、11月23日の相原医師との別れを、泣きながら惜しんだそうである。