他人の健康が妬ましい [ちょっと、一息 10]


[バー]他人の健康が妬ましい




    「人の不幸は蜜の味」

    とは言うが、自分が大病を患っている人の中には、時にこうした感情が強くなる人もいる。

    知り合いの高齢男性は、重大な病気を抱えているせいか、友人が大病で入院したなどと聞くと、途端に元気になり、

    「あいつは、もう、長くないみたいだな」

    などということを平気で口に出す。

    しかし、その入院した人が病気が回復してしまうと、その悔しがりようではないのだ。

    また、ある男性は、自分が病気にかかると、友人たちも同じ病気にかかってくれないかと、日々望むようになったという。

    そして、その男性の友人の一人が医師から検査をした方がいいと言われただけで、

    「あいつは、おれと同じ病気だそうだ」

    と、早合点して周囲に言いふらした。

    ところが、検査結果は異常なし。

    「まったく、脅かされたよ」

    と、苦笑いする友人に向かって、

    「そんなはずはない。絶対に異常個所があるはずだ」

    と、無理やり疑ってみせ、不安感をあおり立てたのだそうだ。

    そういう他人の不幸を望む傾向は、どうも高齢者に多いようだ。

    若いうちは、病気になっても治る見込みがあるので健康な人をうらやむ気持ちは薄いのだが、高齢になると、完全回復の確率も必然的に下がるので、常に持病のことが頭から離れず、どうしても、同病の仲間が欲しくなるらしい。

    今日、ワイドショーを観ていたら、昔、名子役と呼ばれた斉藤こず恵さんが出演していて、現在、彼女は甲状腺がんを患い、抗がん剤治療中だと話していた。

    その際、斉藤さんがこんなことを言った。

    「こういう病気になると、本当に気持ちを判りあえるのは、家族でも友人でも恋人でもない。同じ病気で苦しんでいる人たちなんですよ」

    病気の人にとって、心から信頼し語り合えるのは、やはり、同じ病気と闘う患者同士しかいないというのである。

    だから、上記の彼らもきっと、自分と同じ病に苦しむ人たちが身の回りに大勢いてくれることが安心であり、自分はまだ大丈夫だという確信のよりどころにもなるのだと思う。

    病気になって心細いのは良く判る。

    どうして、自分だけが・・・と、思う辛さも悔しさも当然のことだ。

    だからといって、健康な人を妬むようなことは言って欲しくないし、そんな言葉を聞かされる側も快くはない。

    どんなに人を妬んでも、現実の自分から逃げ出すことは出来ないのだから・・・。

    病気とうまく付き合いながら、そこそこ生きていければそれでいい----そんな、ある意味前向きな諦めも悪くないのではないだろうかと、考える昨今である。

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<今日のおまけ>


    大阪府、大阪市が激変するかもしれないという報道が、テレビをにぎわせている。

    インタビューに答える市民の中には、橋下、松井新体制に大きな期待を寄せる声が多かった。

    自民、民主などの既成政党も、ついおとといまでの「反橋下」の勢いは何処へやら、いっせいに維新の会の動向に肯定的な意見を述べ始めている。(維新と名付けるだけあって、やっぱり、西日本の発想だよね)

    いつの世も、政治家の乗り降りの早さには唖然とさせられるが、日本全体を巻き込みつつあるように見えるこの騒動に、何故か信州人の視線は冷ややかだ。

    「ああ、こういう光景、昔、見たことがあるよね~~~」

    「大阪都構想?ワンフレーズ選挙なら長野県の方が先駆だよね」

    結局は、そんなところなんだろうな。

    信州は、常に日本全体の一歩先を行っているからね。


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